旧ソ連社会の構造を探る 目次
世界市場的文脈におけるソ連国家
国家の存立根拠について
「国家」とは何か
世界経済の文脈での国家の成立根拠
国家資本主義的独占の失敗
中央計画経済の現実
計画経済の袋小路
ソ連・東欧レジームの崩壊へ
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「国家」とは何か

  ところで、そもそも国家とは何か。ソ連国家の歴史的な特殊性を考えるためには、世界市場的文脈で国家とは何かをつかんでおかなければならない。
  だが、「国家」という用語で語られる存在については、人それぞれ、立場それぞれに応じて、じつにまちまちである。

  19世紀の古典的なマルクシストたちは、国家を狭い意味での「国家装置」として理解した。ことに武装警察や軍などの物理的な強制力を直接保有する組織や制度を国家の中核装置と見なし、社会から分離された特殊な制度的組織の形態として。それも支配階級が従属的諸階級を抑圧し秩序の枠内に封じ込めるための手段となる装置として。
  19世紀には、武装警察や軍が国内の下層民衆の抵抗や暴動の鎮圧のために動員され、秩序維持の機能をかなり暴力的・威圧的に発揮したので、そういう見方には現実的な根拠があった。しかし、20世紀半ば以降には、参政権や市民権の下層民衆や女性、若年層への拡大がおこなわれ、社会の秩序維持や統合の形態はおおきく変化した。

  ところが、1970年代の世界的規模(ことに西欧)での左翼の多数の理論家たちのあいだの国家論の大論争を経て、《国家とは社会の特殊歴史的な編成形態である》というテーゼが主要になってきている。中央政府組織――行政機関だけでなく、議会や軍、司法機構などを含む――を中核として形成されている、固有の政治的凝集性をもつ人間集合の組織状態というわけだ。

  エンゲルスは、国家とは――国籍性ナショナリティや関税障壁、国境システムなどによって――領土・国境制度によって地理的に区分され、政治的に組織化された住民集合である、という卓見を述べている。この見方は、世界システム理論から国家を定式化するのに、きわめて有効な標識(メルクマール)である。
  1970〜80年代に転化されたドイツの国家導出論争の末期には、世界システム理論の立場から、国家とは何かが定式化された。それによると、国家は近代世界では国民国家であり、国民国家とは、世界経済の下位区分(   Unterteilung :サブシステム)ないし政治的・軍事的・文化的な要因を介在させた分割状態である、という見方が確立された。
  すなわち Nationalstaat als Unterteilung der Weltwirtschaft / Die politische Unterteilung der Weltwirtschaft in Nationalstaaten という定式化だ。
  中央政府機構を中核とする国家制度の枠組みによって――憲法体系や国境制度、国籍性などをつうじて――排他的に組織された凝集=分割状態だということだ。
  では、このような世界経済の多数の国家への分割状態は、なぜ、どのようにして発生してきたのか。

  しかも、資本主義が政治的・軍事的構造において多数の国民国家に分割された世界経済システムとして成立したのであってみれば、およそ社会主義革命は不可能となった。というのも、個別国家ごとに多かれ少なかれ不均質で不均等な諸国家のほとんどで同時に革命が起きて、同じような方向に進むということはありえないからだ。
  一国ないしいくつかの諸国で社会主義運動が革命を成功させても、多数の諸国家が生き残るために世界市場で資本蓄積競争を繰り広げている状況では、やはり国家は資本蓄積(つまり剰余価値の資本家的領有)を最優先にせざるをえないからだ。

世界経済の文脈での国家の成立根拠

  近代国民国家は、13世紀以降、ヨーロッパ中世晩期の変動過程をつうじて、世界市場が形成され、その内部で相互に対抗競争し合う諸地方・諸地域の商業資本グループと、王権などの国家形成ステイトメイキングの担い手とが偶発的に結びついて、軍事的・政治的単位としての国民(ネイション)が出現したことで、生成した。
参考資料
  ヨーロッパにおいて国家はただ1つ出現したのではなく、中世以来の多数の政治体がきわめて未熟幼弱な段階から、互いに対抗し合いながら成長し、特有の制度装置や組織形態を――多くの場合は偶然に――獲得してきたのだ。ドイツの国家論では、多数の国民国家からなる一つのシステム、諸国家体系 Staatensystem としてヨーロッパ世界経済が成立したと見る。
  この意味では、階級としての資本家と労働者との対抗関係を基盤にして国家ができ上がったという文脈よりも、はるかに巨大な背景連関(文脈)を持っている。こういう見方の典拠は、マルクスが著書『資本』で資本主義的経済社会を最も単純化された次元で考察するために、全商業世界が単一の国家の内部にあって、資本主義的生産様式が全経済部面で支配的になっていると仮定したことにある。
  つまり、諸階級がいくつもの国民国家という単位に分割されているという実情を度外視したことにある。そこで、具体的な階級論的な国家像は、そういう多数の国民国家への分割状態を織り込んで描かなければならない。

  さて、中世晩期といえば、先進的なイタリアでさえ、「資本=賃労働」関係はごくマイナーな局部的な関係であって、じつに多様な階級・階層に分離していた農民や都市住民、領主貴族や地主、自立的な工房職人、これまた上下の格差が大きな商人階層などが、互いに非常に多様で複雑な関係を織り成していた。そこから、やがて国家となるはずの政治体=レジームの萌芽が生れ出たのである。
  世界経済的な文脈では、資本家と賃労働者との関係なんかよりも、王権君侯どうしの対抗、王権と都市との対抗、王権と貴族領主との対抗、商人と土地貴族との関係、農民と領主貴族との関係…そして、なにより、ヨーロッパ各地の王権ならびにこれと癒着した商業資本グループどうしの対抗関係などが、いくつもの国家を出現させた主要因だったのだ。

  とりわけ、王権は強固な財政基盤と軍事力を保有するために、都市の特権商人集団――この特権は王権が与え、やがてその上層は有力宮廷貴族となっていく――との同盟を結成しないと、近隣の有力王権やライヴァル君侯との闘争・競争で敗れてしまい、国家形成は頓挫してしまう。財力でも軍事力でも、商人団体は、幼弱な頃の王権よりもはるかに強大だった。
  王は商人的な基盤を持つ有力貴族を王権の統治組織の内部や周囲に組織化して、将来の国民的凝集の基盤=中核として育成した。というよりも、たまたま育成に成功した地方ブロックが、ほかの王権や君侯を圧倒していくことになった。たとえば、ネーデルラント、続いてイングランド、いくぶんフランス。これを後追いする地方では、こうした先進諸国のレジームや政策が「モデル」になって、政治理論や国家論が構築されていく。
  遅れて国民的統合や国家形成を進めたところでは、分厚い関税障壁や産業保護育成政策、国家による管理下での銀行設立や国策企業(製鉄業や鉄道業、造船業など)が追求された。重商主義的政策による「国家づくり」「富国強兵」である。

  こうして、近代資本主義は、世界経済の多数の国民国家への政治的・軍事的分割という仕組みのなかで成長し、構造化されることになった。
  こうしてみると、仮に理論上「社会主義革命」なるものを考えるとすれば、生産様式の変革は世界的規模でおこなわれなければならないけれども、統治レジームの変革は個別の国民国家という枠組みによって制約されてしまう、という深刻なパラドクスに陥る。

  一国単位で「社会主義革命」を引き起こしてレジームの転換は成功したとしても、経済的再生産のありようとしては、世界市場での資本蓄積競争を闘い抜かねばならない。その意味では、国家装置は世界的規模での資本蓄積競争での優位を達成するように介入や組織化をおこなうしかない。
  そうなると、国内での利潤率=搾取率の強化とか、旧来の富裕階級の収奪とか、それが限界にぶつかれば、国外地域の搾取や収奪しか、競争で優位を確保する方途は残されていない。
  というわけで、社会主義なるものを創出することは、およそ不可能になる。
  だが、国家装置や政治の作用によって、あまりに悲惨な格差や敵対を回避するような資本主義的経済の仕組みづくりや運用は可能かもしれない。けれども、特定の国民国家(の市民)の生活水準の豊かさは、不可避的に、国外の諸地域の劣位をもたらすという「しわよせ」をともなうしかないだろう。
  個々の国家が利益追求に自己抑制的であっても、このように外部への「しわよせ」が不可避だとすれば、現実の歴史のように、諸国家が自己の利益追求に血眼になって互いに争っていくとすれば、まさに歴史は現実にそうであったように、戦争や抗争、殺戮や威嚇、暴圧をともなう植民地支配や収奪は、まさに不可避だった。

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