旧ソ連社会の構造を探る 目次
世界市場的文脈におけるソ連国家
国家の存立根拠について
「国家」とは何か
世界経済の文脈での国家の成立根拠
国家資本主義的独占の失敗
中央計画経済の現実
計画経済の袋小路
ソ連・東欧レジームの崩壊へ
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世界市場的文脈におけるソ連国家

  ここでは、旧ソ連のレジームについて世界経済的な文脈のなかに位置づけて分析する。結論を先に言っておくと、ソ連の実態は、国家独占と国家中央計画をつうじて組織されたすこぶる特殊な資本主義的経済だった。利潤原理で動く資本主義的社会は「いびつ」なものだが、そのなかでもロシアでは、飛び抜けていびつな資本主義的構造が、国家の執拗な介入と組織化によって形成された。
  その過程は、「革命」を指導した共産党の政策とイデオロギーによって強く影響されていた。だが、結果として、その視野狭窄で底の浅い「社会主義革命」理論が当初まったく予期しないレジームができあがってしまった。その結果、政治では恐ろしいほどに転倒し倒錯したイデオロギーが現実を糊塗し、民衆を抑圧し続けた。
  「革命理論」と実際の歴史との絡み合いを読み解いてみよう。
  ところで、これまでソ連国家が社会主義だという自己主張や宣伝は数えきれないほどなされたが、その社会を客観的に分析して――マルクス派的な意味合いで――社会主義だと判定した研究はひとつもない。社会主義革命で形成された社会と国家だから社会主義だろう、というじつに安易な評価にソ連支持派もソ連批判派も依拠していた。

国家の存立根拠について

  さて、私たちは、「ゴールィキーパークへのオマージュ」という記事のなかで、マルクシズムの単純な階級理論と国家との関係を見ておいたが、ここではまず最初に、国家の存立の根拠というか必然性について考えてみる。
  マルクシズムにおいて、社会がいくつもの階級に分裂している社会では国家の存在が必然的になる、という命題はどういうことを意味するのか。

  つまりその命題は、敵対し合い対抗し合う諸階級に分裂した社会では、社会の安定性を保つために、一定の秩序の枠組みの内部に統合する権力あるいは権力装置が不可欠になるということだ。あからさまな敵対や紛争を秩序の内部に収め込み、あるいは封じ込めないと、社会の安定はなく、経済活動や文化精神活動は順当に進行せず、支配階級は支配の果実=利益を確保できないからということだ。
  説得や威嚇、買収や懐柔、威圧・暴圧も含めて、とにかく紛争は封じ込めなければならない。しかも、できるだけ「平和的に」やらないと、長期的な安定は見込めない。してみれば、国家ないし支配レジームの正統性を担保するためにも、支配される諸階級にも何らかの「平穏」の配当を分配しなければならない。

  この場合、政治的支配や説得あるいは封じ込めのために動員できるような資源を究極的に支配するのは、経済的に支配的な諸階級であるとされる。
  ということは、現存の経済的再生産の仕組みにおいて最優位に立ち、そこから最も大きな利益を引き出している諸階級が、軍隊や警察、行財政装置などの統治レジーム、そして文化やイデオロギーを社会に伝播させるメディアに対して最も支配的な影響力をおよぼしている、ということになる。
  この理論は一見説得力がありそうだが、具体的な分析や検証を経たというものではない。支配される階級の側、従属的な階級の立場からの経験則というか、経験的感覚というべきものだろう。もっとも、社会科学や歴史学は「経験科学」とも呼ばれているので、私たちが経験する事態を分析し理論化するのだから、一定の説得性はあるだろう。

  資本主義的社会においては、歴史的に見て、社会的分業のもとで、国家装置の担い手(高級官僚や軍の将官など)やメディアの担い手、そして有力経営者層は、それぞれ別個の団体や制度に組織化されている。彼らは資本家的経営者層とは別の集団組織をなしている。だから、国家装置やメディア装置が、資本家としての有力経営者層と利害や意思を共有したりそれに服属するとすれば、・・・それは具体的にどのような仕組みをつうじてか、もしエリート諸階層の利害や意識、政策に対立や相違が生じるとすれば、それはどのように収束・統合されるのか。
  大企業の経営者層と大株主がれっきとした「資本家階級」というものに当たるとすれば、しかし彼らは直接に政治制度や政府組織、行政権を運用しているわけではない。そうすると、支配的ないし指導的な有力政党や政治家集団、上級官僚集団が、最も富裕な階級の利害を共有して、彼らの利害を「総体としての」政府や行政機関の運営で最優先させるようになるメカニズムはどういうものなのか。

  これらの問題については、まだまだ未解決なものが山積みだ。
  支配政党の内部にも派閥や分派がいろいろあって、個別の団体や組織がいったん成立すれば、利害は個別に分離・対抗していくのが、「人の世」の常だから。
  とはいえ、いわゆる「ブルジョワ的理論」と呼ばれる西欧やアメリカの政治理論でも、支配集団や支配層は、社会の一般大衆から分離したエリート集団を構成しているという命題が定式化されている。そして、彼らは、飛び抜けて富裕な資産家であって、政府や経済界、官界などの有力者たちと人脈的・家系的に強い結びつきを築き上げていて、強固な凝集性(コヒージョン)を備えているという。

  この階層は、一般大衆に対しては閉鎖的なサークルをなしているが、成り上がり者や新興の有力者たちには、手をさしのべ、人脈や婚姻などによる家系的・閥的な結びつきのチャンスを与えがちだという。
  この意味では、マルクス派ならずとも、社会のトップに位置して中央政府の政策や利害に対して飛び抜けて大きな影響力をおよぼしている支配階層やエリートが存在することは、経験的に検証されている。

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