揺れ動くイタリア 目次
疫病の地政学
ペスト襲来
環境危機
ミラーノの台頭
ヴィスコンティ家
国家組織
歴史観を見直す
地中海貿易の構造変動
地中海東部の変動
地中海西部の変動
ヴェネツィアの黄昏
地中海貿易の後退
ヨーロッパの軍事革命
戦争の形態の転換
海洋権力の転換

歴史観を見直す

  ところで、この時代の「貴族」とは「封建貴族」ではまったくない。
  本来の中世型貴族は、すでに14世紀までに全ヨーロッパから消え去っていた。とはいえ他方で、「古き良き法」に依拠する封建法的な慣行・慣習、思考・行動スタイルは根強く残っていたのだが。
  この時代までに、名目的に上位の旧来型君侯への臣従を拒否した城砦領主たちは、旧来型の貴族の権力や権威をズタズタに切り裂いて、奪い取っていた。領主たちは、城砦を中心とする所領支配を組織していた。
  そして、所領経営は農産物を商品として販売する経営に転換していた。つまり、所領経営は、遠距離貿易を経営する富裕商人層に依存するものとなっていた。
  そして、多かれ少なかれ自ら領域国家の形成をめざすか、あるいはそういう有力な領主を盟主に担ぐ「貴族同盟」に加わり、領域国家形成をめぐる闘争での生き残りをはかっていた。

  ことにイタリアでは、旧来の領主貴族は、商品貨幣経済に照応した土地経営に基盤を置く地主となり、富裕商人が支配する都市の統治組織に融合するか、あるいは自ら商業を経営するしか、生き残りの道はなかった。
  地中海では、遠距離貿易をめぐるリスクとコストの管理がますます面倒になり、商業はどんどん投機性を高めていた。そして、商業利潤はますます少数の有力者に集中していった。
  北イタリアでは、都市の富裕商人層は門閥貴族に変貌した。彼らの家系は多くの場合、富と権力を土台に私兵団(傭兵)=軍備を備えて、都市統治で寡頭支配(少数の貴族・有力門閥たちによる共和政)や専制(君主政)を追求するようになった。
  この場合、古くからの身分制度やそれにともなうとされる慣習や儀礼、生活スタイルなどが、新しい商業貴族制に持ち込まれた。

  フランスでも15世紀には、旧来型の「帯剣貴族」なぞというものはすっかり過去のものとなり、体裁気取りの形骸だけになっていた。貴族の家政経営はそのかなりの部分に商品貨幣経済にアグレッシヴに対応する部門がなければ、もはや財政的に貴族としての体面や軍事力を担いきれなくなっていたのだ。
  そして、集権化を狙う王たちは、直属の家臣団・顧問官には、地方的分立に固執する旧弊型の慣習に染まった貴族たちよりも、パリや周辺の都市で経済的に成功した富裕商人たちを登用し、高位の爵位を与えるようになっていた。
  しかし、そうなれば、ますます「貴族としての正統性」を誇示するために、古くからの形式的権威とか慣習に拘泥するようになった。
  新しい貴族は、その「成り上がり」としての権威の軽さを重厚な威厳で取り繕うために。一方、古顔たちは、自分たちの「由緒正しさ」を成り上がり者たちに対抗して誇示するために。

  アカデミズムの多くの歴史家たちは、公式の記録に呪縛されていて、法服貴族と帯剣貴族との区分・対立を「フランス革命」の直前にまで持ち込んでいる。笑止なことではある。
  実質的な帯剣貴族は、15世紀までにほとんど死滅している。生き残ったのは、それを模するエピゴノイ(エピゴーネン)だけだったのに。

  商業と資本主義、王権、身分制との関係性を、歴史的に動態的に把握できない、石頭(化石のように)だ!
  これまでに述べてきたことからも明らかなように、中世の経済は封建性とか封建的と規定できるようなものではない。言い換えれば、「封建性」は「近代=資本主義」と同じようなレヴェルで一定の歴史的段階を規定する要因ではない。

前のページへ | 次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済