揺れ動くイタリア 目次
疫病の地政学
ペスト襲来
環境危機
ミラーノの台頭
ヴィスコンティ家
国家組織
歴史観を見直す
地中海貿易の構造変動
地中海東部の変動
地中海西部の変動
ヴェネツィアの黄昏
地中海貿易の後退
ヨーロッパの軍事革命
戦争の形態の転換
海洋権力の転換

戦争の形態の転換

  このような文脈でも、イタリアの有力諸都市は、領土の膨張=支配する周辺領域の拡大を強制されていた。支配地拡大をめぐる都市国家のあいだの戦闘の強度は高まっていく。
  それでも、イタリアの都市国家どうしが戦っているうちは、まだよかった。
  15世紀の末以降、すでに見たように、フランス王権に続いてエスパーニャ王権というけた違いに巨大な政治体がイタリア戦線に介入してくると、散発戦・局地戦ではあっても、戦争の強度と戦域は飛躍的に拡大した。戦費もけた違いになった。
  イタリアでは、これまた軍事革命もほかの地域に比べて先駆的に展開したのだ。エスパーニャやフランスの王権は、イタリアの経験を自らの域内での軍事活動に応用していった。

  大砲や銃の導入によって城塞攻撃、攻城戦術が決定的に転換した。
  15世紀のフランスで断続した戦役(百年戦争)では、フランス王権派は大砲をプランタジネット派の城塞攻撃に応用した。攻城砲の活用だ。また火縄銃の斉射によって、敵側の長弓隊を撹乱・撃退した。
  こうしたけた違いの破壊力と威嚇力を持つ兵器を運用するのは歩兵だった。実際には命中精度は低かったので、破壊力よりも威嚇力=撹乱の方がはるかに意味を持っていたのだが。
  それにしても、歩兵は、軍における貴族の騎士の役割を徹底的に従属的なものに置き換えていった。騎兵隊では、旧来の重装騎士の代わりに小銃を携えた軽騎兵が中心的な役割を果たすようになった。
  まさに火砲と砲兵、銃兵の活用によって、フランス王権派はプランタジネット派をドーヴァーの彼方に追いやったのだ。

  15世紀末からイタリアに侵攻したフランス王軍は、銃撃戦術と攻城砲戦術を戦線に持ち込んできた。これに対応して、城塞防御の観点から、城塞構築・築城技術もまた転換していった。
  16世紀から17世紀にかけて、敵側の火砲を防ぎながら自軍の火砲の威力を発揮するための築城技術として、稜堡式築城(五稜郭のような星型城郭)が開発されていった。
  稜堡の先端には高台を築いて大砲を設置し、城壁には銃撃のための銃眼を設けた。そして稜堡の外側には傾斜土塁と濠(空濠や水濠)がめぐらされた。
  こうすれば、城郭の外縁一帯には遮蔽物がなくなり、接近する敵には銃撃と砲撃で応戦できた。
  これによって敵の城郭への接近を阻み、さらに稜堡の先端に銃眼や砲座から、銃をもって接近する敵側に砲弾や銃弾を浴びせる戦術がとられた。
  野戦や攻城戦では、飛び交う銃弾を回避しながら敵に接近し機動展開するために、塹壕を設けるようになった。
  攻める側も守る側も、とてつもなく金のかかる戦争になった。軍事革命はひるがえって君主たちや諸王権に行政組織と財政構造の転換を迫ることになる。

海洋権力の転換

  海洋の軍事力もまた転換していった。
  戦闘艦艇が同時に商用船舶であるという点は変わらなかった。むしろ、古くから海運は軍事力=戦闘とより密接かつ内的に結合していった。
  ヴェネツィアのガレー船には帆が設置されるようになって(ガレアス船と呼ばれる)機動力が増大した。乗組員の武装のほか、ガレー船自体の武装は、長射程のクロスボウやカタパルトだった。
  だが、ガレー船はいずれにせよ、船体の容積の割に乗組員が多く、補給のために頻繁な寄港が不可欠なことから、航続距離が短く沿岸航行しかできなかった。

  これに対して、大西洋岸の諸王国では、鈍重だが遠海や沖合いを航行できるような航続距離の長いカラベル船が開発された。やがて船体自体、つまり船首や船尾、舷側の船腹に開口部をつくって大砲を設置するようになった。
  ガレー船のクロスボウやカタパルトに比べて、破壊力と射程は飛躍的に拡大した。
  これによって舷側接近、接舷以前に敵側の戦力を覆滅できるようになった。
  船腹の砲列は上下2段あるいは3段にもなり、攻撃力は増大していった。
  やがて、カラベル船は大型化・高速化してガレオン船が開発され、航続距離は延びていった。さらに外洋航海用の高速でスマートな船体のフリゲイト艦が生み出されていく。
  大砲も改良されて、車輪つきの砲架も開発され、大砲自体の射程と命中精度が高められていく。

  これまた造船・艤装費用ならびに航海費用をおそろしいほどに膨張させていった。
  とはいえ、海戦は敵船舶からの奢侈品や財宝を略奪することで、勝者の側には、陸上の戦闘に比べてはるかに巨額の収益をもたらすこともあった。
  海戦とは、要するに海賊行為と同義語だった。

  海洋貿易の組織化と防衛には、このような新たな建艦技術と運営費用、艦隊の寄港地などを必要とした。それゆえ、小規模で海岸線の短い都市国家ではもはや対応できなくなった。
  ヴェネツィアが海洋商業帝国から撤退して、大陸領土の確保拡大へと転じた理由は、このへんにもあるようだ。

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