《のだめカンタービレ》
     が描くもの 目次
鼎談者の面々
全体から何を感じたか
千秋とのだめの人物像
音楽における「自由と必然性」
表現技術と「表現したい内容」
音楽の「時代精神」を読む
「音楽」の歴史的変化
「クラシック音楽」の成立
ソロとオーケストラ
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◆音楽における「自由と必然性」◆

B: ところで、音楽の作法というか知的な理解を重視する千秋は、のだめに出会って、直感=直観や動物的な本能に即応して演奏することの素晴らしさ(と限界)を知るのですね。
  千秋は、谷岡教授が出した課題としてのだめを指導することになります。
  モーツァルトの連弾用ピアノ曲をのだめといっしょに演奏する練習をする。だが、のだめは、勝手に音符を付け加えたり、テンポもめまぐるしく変化させて飛び跳ねたりする。
  はじめのうち千秋は、厳格に楽譜=教則本どおりに演奏することを教え込み、強制=矯正しようとするが、やがてそれがのだめの持っている天性の個性や資質を押しつぶしてしまいかねないことに気がつく。
  で、のだめに自由に演奏させて、思うがままに彼女の個性や感性を引き出させ、千秋は伴奏に徹しきって、アクロバティックなまでに、のだめに合わせるようになる。もちろん、それは、相手の長所や短所を鋭く見抜き、瞬時にして相手の演奏に調和する演奏ができる彼の技術と感性、理解力があってのことです。

C: そうそう。じつに漫画的だけれども、あの場面には、およそスポーツでも音楽でも、学問でも、いつも課題となる、「法則ないし原理原則と個性」というか「原則・法則と個人の自由」との緊張関係というテーマが語られていた。相当に深い内容の問題ですね。
  最低限度は必要になる原理原則や基礎知識や基礎技能と、それぞれの担い手の個性とか感性あるいは衝動との対立や緊張、つまり折り合いの付け方の問題が。

A: これは、ヨーロッパの哲学や神学で古くから問いかけられてきた《自由と法則性》あるいは《自由と束縛》の問題の「音楽版」だね。
  個人が勝手気ままに、その場で思いつくがままに考え、行動することが、本当に自由なのか。それで、本当に自分が求める目的が達成できるのか。いや、「その場の勝手な思いつき」というものが、そもそも「自由」と言えるのか。
  たとえばスポーツなら、人間の身体の仕組みや筋肉や骨格、運動する場所の環境など、自然世界の環境、物理法則というものに逆らっては、正しい運動はできませんよ。やはり、ある目標となる動きや結果をもたらすためには、最低限度は必要な原理原則、つまりは基礎知識や技術・技法を身につけなければならない。

B: 同じ問題は、千秋がシュトレーゼマンの指導というか深謀によって、Sオケの正指揮者になって、峰君をはじめとする「個性の突出」を求めるメンバーと対立する場面でも出てきますね。

C: 「ああ、こいつらも『のだめ』なんだ!」って、千秋が理解する場面がありますね。「計算(打算)のない個性」の大切さを悟るんですよね。

B: でも、千秋はその「打算のない個性」の突出をそのままそっくり認め、受け入れるわけではないよ。彼の考える理想というか、基本線の展開線上で、その《理想(本質)の表現形式》として位置づけ直すという方が正確ではないかな。

C: つまり、彼が求める原則=理想という大枠のなかに統合するということですか。


A: たしかに1つのシステムのなかに統合するんだが、千秋自身の構想自体が、「打算のない個性の突出」というものに出会って、豊かに成長拡大しているんだ。だから、固定した枠に押し込むというんじゃない。

C: そうですね。千秋は、楽譜が示す基本構想をまず理解しろ、と迫る。彼は最低限度演奏に求められる知識や理解力、個々のメンバーの技法や技術を叩き込もうとする。スパルタ訓練を課して。
  そして、他人の演奏を素直に聞いてそれとの調和を求める感覚や技術をも執拗に求めますね。
  そうして、メンバー全員がそれなりに成長、成熟した段階で、彼らが本来持っていた個性というか素質を最大限引き出そうとする。
  やはり、オーケストレイションのコンダクター、つまりはオルガナイザーにして指揮官は、そういうものですよね。

B: そもそも、オーケストラ用の楽譜(総譜)は、たくさんの種類の楽器の特性や個性、音階特性や響きと特殊性をそれぞれに生かした声部=旋律をつくりながら、それらを複合・合成・総合して、1つの全体、美しいシステムを生み出すのですよね。
  しかも、そこに各楽器を担う人びと(演奏者)のパースナリティがにじみ出る。
  だから、それだけ多様で複雑なものを統合(調和)する構想というか方針が明確に通っていないと、バラバラになってしまう。楽器や演奏者の個性(差異・異質性)を追求しながら、しかもそれらを総合する必要がある。

C: この世の中の仕組みというか、営みに普遍的に共通するテーマですね。

A: フリードリヒ・エンゲルスというマルクスの盟友が、《フォイエアバッハについて》という著作で「自由と必然性」というテーマを論じている。
  気随気まま、その場しだいの勝手な思いつき(むやみやたらな行動)は自由とは言えない。自由とは、自己の目的や意図を障害を克服して達成することだ。まあ、今で言えば「自己実現」の可能性を広げることが自由ということになるのかな。
  そうすると、ある目的をもった行動を起こす場の状況や環境、つまりはこの世の中の仕組みを分析して、その傾向や法則性、すなわち必然性(傾向性に潜む法則)を洞察し理解することが、自由なのだ、というんだ。
  目的を達成するためには、必然性を洞察しろ(基礎知識と技術を身につけろ、解決技法を学べ)ということかな。
  あるいは、自己の目的を実現するためには、外界へのアプローチ方法も大事なんだが、自己抑制と自己省察も不可欠ということかな。理にかなった努力と力の放出のためにね。

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