《のだめカンタービレ》
     が描くもの 目次
鼎談者の面々
全体から何を感じたか
千秋とのだめの人物像
音楽における「自由と必然性」
表現技術と「表現したい内容」
音楽の「時代精神」を読む
「音楽」の歴史的変化
「クラシック音楽」の成立
ソロとオーケストラ
ソロとアンサンブル
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◆ソロとオーケストラ◆

A: さきほど、音楽(演奏)における自由=個性と必然性(規則・約束事)との関係について語り合いましたが、音楽演奏には「独奏と合奏」(コンチェルトというよりもクァルテット以上のオーケストレイション)があります。「ソロとアンサンブル」との関係については、どうでしょうか。

C: 「のだめ」の物語では、「ソロとアンサンブル」のコントラストとか緊張関係が、いたるところで描かれていますね。
  のだめや峰君は、千秋との出会い以降、オーケストラに強い憧れを抱きつつも、強いソロ志向を持っている。というよりも、突出した個性のなせる業かもしれないが。
B: それに、R☆Sオケの主要メンバー、たとえば三木清良とかチェロの菊池亨とかオーボエの黒木君…なんかも、ソリスト志向だよね。コンクールに出た人たちは、だいたいがソリスト志向なんだろうね。
  R☆Sオケの独特なところは、主要なメンバーが強い個性と卓越した才能・技術を持つソリストたちによって組織されたアンサンブル=オーケストラだということだね。

C: ぼくはクラシック音楽には、じつのところ門外漢なんです。そういう立場からの疑問なんですが、ソリスト志向の人たちとオケのメンバー思考の人たちとは、それほど明白に区別されるのでしょうか。あるいは訓練方法とかキャリアとか、それほど違うのでしょうか。


A: 私にもわからない。
  原作での描かれ方を参考にして考えてみましょう。
  えーと、三木清良が「押し売りコンクール」で1位になれず、けれどもその後、R☆Sオケの初公演でコンミスとして飛び抜けた資質とパフォーマンスを見せつけた。そのとき、彼女の師匠のカイ・ドゥーンが、自分が所属する弦楽四重奏団メンバーと交わす会話があるね。
  ほかのメンバーが清良の才能と技術を高く評価するのに対して、カイ・ドゥーンは反論するんです。
  「私はソリストを育てたいんであって、オケのコンマスを育てたいわけじゃあない」と言い張る。ということは、ソリストとオケのメンバーとの質的な違いが前提とされているということですね。

C: でも、コンマスというのは、指揮者の構想や意図の楽団への媒介者でありつつも、ひときわ高い技術を持っていて、ソロ部分があればその旋律部だけはソリストとしてパフォーマンスするわけでしょう。
  ということは、アンサンブルに対して鋭敏なソリストならば、オケのコンマスとして十分働くことができるのではないですか。カイ・ドゥーン自身の経歴でも、ベルリン・フィルのコンマスを経てソリスト、そして四重奏団(あるいは室内楽)を追求しているわけでしょう。

A: ソリストとして若い頃から頭角を現し成功していくという演奏家は、それほど多くはないんじゃないかな。著名なソリストたちの多くは、若い頃には一流楽団でパートの首席奏者を務めている場合が多いような気がするけど。つまり、そうやって実績を積み重ねてから、ソリストになっていく。もちろん、機会があればソリストしての演奏や録音=出版をするのだろうが。

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