ハロルド・スミスは美術品をめぐる捜索のプロフェショナルで、彼が経営する調査会社は、保険会社ロイズやメトロポリタン美術館などの代理人となって、盗難に遭った美術品の行方の調査や奪回交渉を委嘱され、これまでに多くの事件を解決してきた。彼の息子たちのなかで、末っ子のグレッグだけが調査事業の後継者となるべくハロルドのオフィスで働いている。
ハロルドはじつは依頼を受ける前からこの事件にいたく興味をそそられていて、独自に情報を集めていたという。
絵画盗難事件を追跡するTVドキュメンタリーの制作監督から事件調査の依頼を受けてから、彼は、FBIの捜査や警察当局の捜索の道筋やジャーナリストの調査記事の跡を丹念に調べ直した。もちろん、彼独自の情報網やインフォマントも駆使しながらの作業だった。
ところで彼の容貌は異相である。そうなってしまった経緯はこうだ。
ハロルドは若い頃、商船学校の学生だったが、あるとき皮膚病を発病して医者にかかったところ、今では強い発癌性があるとされている薬品を全身に塗布されたうえに強い紫外線――これも発癌性が強い――を照射されたために、全身の皮膚癌になってしまった。とりわけ、顔や手などの皮膚はひどい爛れであちこち剥落してしまったので、人工皮膚の鼻や表皮をつけて暮らしているのだ。いわば常時仮面をつけて生活しているのだ。
だが、彼の頭脳はとびきり明晰で、すぐれた分析や推理、交渉力で、世界屈指の美術品探偵(盗難美術品調査)の地位を確保し続けている。
映像物語は、この事件をめぐる彼の調査・追跡活動を追いかけていく。
事件直後、FBIがこの事件の容疑者と結びついた関係者または参考人として目をつけたのは、百戦錬磨の美術品泥棒、マイルズ・コンナーだった。容疑者ではない。というのも、事件当時、マイルズは彼の人生で何回目かの刑務所での服役生活を送っていたからだ。だが、強奪の手口から見て、マイルズに近い美術品泥棒仲間の仕業である可能性が大きかった。
さらにFBIは、マイルズが裏で指揮してフェルメールなどの絵画を美術館ISGMから盗ませた可能性もありると考えた。これには十分な根拠があった。数年前、マイルズは獄中から密かに仲間を教唆して、ボストン美術館からレンブラントの絵を盗ませ、その返還と引き換えに、マイルズの刑期を短縮させる司法取引をおこなったのだ。
だがこの事件に関連しては、巨額の報償金を提示したにもかかわらず、手がかりはもちろん、証言は何も得られなかった。
ハロルドは、すでに刑期を終えて市民社会に復帰しているマイルズ・コンナーから情報を得ることにした。
マイルズが語ったところによれば、当時自分は服役中だったが、事件の報道を聞いて、親しい仲間がやったに違いないと思ったという。というのも、その仲間と以前、通報を受けてやって来た警官を偽装して美術館に押し入る方法を検討したことがあったからだ。
実行犯として思いつくのは2人。だが、両方とも事件後に死んでしまった。
1人は事件の後、心臓発作で死亡してしまった。残る1人は、裏通りで刺殺されたうえに、首を切り取られるという異常な犯罪に巻き込まれて、この世から消えていった。いずれの場合も、この事件に関係した可能性を残したまま死んだといえる。
その心臓発作で死んだ男から獄中のマイルズに送られた連絡によれば、「またもやマイルズの刑期を短縮させるための交渉材料を手に入れた」というのだ。しかも事件直後のタイミングだった。
この筋で推理すれば、その疑わしい2人の仲間たちはマイルズの刑期短縮の人質だと思ってISGMの絵画強盗に手を染めたが、彼らを操っていたのは、マイルズではなくもっと大きな力を持つ組織(黒幕)だったかもしれない、ということになる。だが、この方向での手がかりは、2人の死亡とともに闇に消え去ってしまった。