ハロルド・スミスが追いかけた次の手がかりは、ボストン・ヘラルド新聞の記者、トム・マッシュバーグだ。
トム・マッシュバーグも、地元で起きた絵画盗難事件に強い興味を抱いて、調査・執筆活動をおこなっていた。ヘラルド紙にもいくつか特集記事を書いた。
調査の結果、トムが容疑を向けたのは、盗難に遭った美術品の闇取引を仕事にしているブロウカーのウィリアム・ヤングワースだった。取材を続けるうちに、ある真夜中、ヤングワースから電話がきた。
呼び出されて行ってみると、ボストン市内の倉庫街に連れて行かれた。そこで、プラスティックの筒に丸めて入れられたレンブラントの「ガレラヤの海の嵐」を見せられた。この大作も、ISGMから盗み出された絵画13点のうちの1つだった。
マッシュバーグが見たレンブラントの絵は、巻かれていたせいか、古びていたせいか、全体にヒビだらけだった。マッシュバーグの目には、本物の「ガリラヤの海の嵐」に見えたという。そして、帰り際に小さなプラスティックのカプセルに入った絵具の欠片を渡された。
その絵具を分析してみると、17世紀に活躍したレンブラントの絵に使われたものではなく、何と16世紀、フェルメールの時代の絵具だった。一般には、まず手に入れることができない材料である。
ヤングワースは、何が目的でこんなことを仕組んだのか。500万ドルという巨額の懸賞金の分け前をもらうためか。あるいは、16世紀の絵具さえ調達できるほどの「贋作製作」グループが暗躍して、懸賞金を狙っていることを示すためか。
それにしても、そこまでで新聞記者の調査もまた、中途で闇のなかで道が途絶えたようだ。
イサベラ自身も、1895年に美術館を開設するや、美術館に人びとを誘導するためにそれまでの匿名を脱ぎ捨てて、新聞などのメディアを巧みに利用するようになった。高い名声を手に入れて、その名声や知名度を利用して、人びとを動かすのだ。
ドキュメンタリーは、そんなイザベラのメディア活用の事実から連想させるように、ハロルドの事務所がメディアを利用して調査を進めるようになった経過を説明する。
ハロルドは、盗まれた絵画についての情報提供を呼びかけるために、ホウムペイジサイトを立ち上げ、フリーダイアル回線を設置し、新聞でのトピック・パブリシティを活用した。
もちろん、この作品となったTVドキュメンタリー番組もメディア戦術の1つだろう。
キャッチコピーは、「懸賞金500万ドルを手にすることができるかもしれません」だった。
メディアの発信力と巨額の懸賞金のためか、アメリカ中から、そして海外からも多数の情報が寄せられた。もっとも、懸賞金の分け前にあずかりたいという欲望からの「ガセネタ」や、面白半分の偽情報、嫌いな人物を容疑者に祭り上げるための密告などが、寄せられた情報のほとんどだった。
「絵画はまだ美術館の内部にあるわよ。そのために、強奪犯は1時間半も内部にいたんでしょう。たとえば、ある絵画の額の裏側に張り付けてあるとか…」
「ラスヴェガスのホテルの○○号室に隠されているのを見た」
「知り合いの男が怪しいわ」
「『合奏』はネヴァダにある。懸賞金と引き換えに渡そう」
というように。