フェルメールやレンブラントに造詣の深いある美術史家は、こう語って推理を披歴した。
レンブラントやフェルメールの絵は素晴らしい。人類の宝です。とくにフェルメールの絵の何と美しいことか。誰もが実物を見たいという思うでしょう。
なかには、作品に魅入られてどうしても所有したい、独占したいという衝動を抑えられない蒐集家がいるかもしれません。
そういう欲望がこの事件の背後で動いている可能性が、一番大きいでしょう。
盗んだ絵画を高く売りつけよう、なんていうケチな強盗の発想ではありません。もちろん、大金を報酬にプロの絵画泥棒に盗ませようとする可能性も高いでしょう。盗んだ絵を買い取るのです。
しかし、そういう強い所有欲=独占欲に駆られた富豪の蒐集家が自ら首謀して絵画強奪をはかった可能性がずっと強いでしょう。
だが私は、そういう人物の傲岸不遜さを非難したい。自分の独占欲のために、一般市民が美術館で観賞する機会を奪い去ってしまったのですから。
寄せられた情報のなかには、「警備員の犯行だよ、間違いない」というものもあった。新聞の懸賞金付きクロスワードパズルに応募するような気分で意見を寄せたのだろう。
警備員が一芝居打ったのだというのだ。
その線をつぶすためにハロルド・スミスは、十数年前にISGMの警備員の仕事をしていたという男を取材した。イーリ・カーツという男性だ。
彼の話では、当時、美術館の警備員の仕事は、ボストンの大学生向けのアルバイトだった。学生たちは、美術館に巨額の美術品が所蔵されているなんてことはまったく頭になかった。アルバイトの1つでしかないと考えていたのだ。
しかも、警備員の仕事の給料は、美術館の雇用者のなかで一番安い賃金で、学生の夜のアルバイト――ただ美術館につめて時間を過ごして給料をもらおうとする――という扱いでしかなかったのだという。
警備員のあいだで事件が話題になったが、内部の犯行を匂わせる雰囲気はなかったという。
それにしても、ハロルド・スミスは嘆息する。
当時の美術館のセキュリティは、ほとんど何も施されていないも同然だったのさ。警備員のアルバイトをする学生たちは、自分たちが見回る美術館に総額で数十億ドルにもなる世界的な美術品が所蔵されている、それゆえ責任が重い…なんて思いつくことすらなかったはずだ。
高価なものが所蔵されているなら当然設置されるはずの警報装置も、通報システムもなかったんだから――警報装置よりずっと安価な学生アルバイトの形ばかりの警備員を置くだけだったんだからね――と。
つまり、安全対策がないも同然だった美術館なので、わざわざ警備員になり済まさなくても、誰でも意志と実行力しだいで絵画強奪は可能だったのだ。
ところで、ハロルドが開設したメディアをつうじて、あの盗難美術品ブロウカーのウィリアム・ヤングワースが絵画返却の取引を持ちこんできた。提案する取引に応じれば、すぐにでも絵画は美術館に返還されるだろう、というのだ。
取引条件は、連邦地方検事局が「事件関係者」の刑事免責を認め、返還と引き換えに第三者預託という形で懸賞金を手渡すというものだった。この手続きが取られしだい、30分後にはすべての絵画は美術館に返還されるだろう、というのだ。
まあ、与太話だろう。ハロルドは相手にしなかった。
ボストン連邦地方検事局は、ヤングワースの提案に対してこう言って突っぱねた。この提案をするなら、まず盗まれた絵画の現品を所持していることを示す証拠、あるいはどこに保管されているかに関する確かな情報を提示し、検証を受けることが前提だろう、と。
この案件についてマッシュバーグ記者は、懸賞金は美術館に絵画が返還され、本物と検証されてから後に取引相手にわたるようにすべきだ、と主張する。それ以外では、たぶん懸賞金詐欺になるだろう、と。