物語の冒頭。ペンシルヴェニア州のある地方。
美しい田園風景。丘陵の向こうから草原を歩いて、あるいは道路を馬車を連ねて、人びとがやって来ます。人びとは教会に集まっていきます。
男性も女性も子どもも若者も、そして老人も、だれもが黒い質素な衣服( plain cloth )をまとっています。みんな会葬者で、どうやら葬儀らしい。
牧師の追悼の演説はだいたいがドイツ語風で、ときおり英語が混じっているようです。
言葉から見ると、ドイツ系の移民社会のようです。
会葬者群の中心に、寡婦になったばかりの若く美しい女性とその子(男の子)がいます。悲しみにくれる2人に、老人がぴったり寄り添っています。なくなった男の父親です。この3人が残された家族です。
母子に30代の男(ホッホライトナー)が声をかけました。母子(レイチェルとサミュエル)を心から気遣っているらしい様子です。
いずれにしろ、すべての会葬者は死者とその家族に対して親身の配慮をしています。
連帯感や結束の強いコミュニティらしい。
そして、ここでは男女のあいだは役割分担・分業がかなりはっきりしているようです。アメリカの普通の社会では「ジェンダー」差別と言われかねないほどに。
会葬者への食事の準備には、女性だけがいそしんでいます。
かなりアメリカでは特殊な生活様式のコミュニティのようです。
この村では、通常の農作業ではエンジンや電力を動力とする機械や農具は使いません。
若い父親を失ったあの3人家族もまた、広い牧草地での干草集めを手作業と馬車でおこなっています。とにかく人手が頼りの農耕では、小さな子どもも大事な働き手、労働力となっています。
この村に生まれた子どもたちは、家族や村人の集団のなかで慣習的に割り当てられた役割、仕事、そして教会の行事などをつうじて、このユニークな社会の風習や規範、掟を学んでいきます。
このような村の規範や慣習は、総じて「秩序: Ordnung 」(ドイツ語で秩序という意味)と呼ばれています。
その数日後、麦の穂波が風に揺れる田園のなかの道を、あの母子を乗せた馬車が近くの町に向かって走っています。馬車は幹線道路に出ました。
とことこ走る馬車の後ろには、大型トレイラー、リムジンなどの車列が続いています。渋滞なのですが、それはこの一帯では日常のことらしい。
とりたてて警笛を鳴らす車はありません。
映画の末尾の謝辞( a special acknowledgement )によれば、ロケイション・撮影の場所はペンシルヴェニア州、ランカスター郡の郊外、インターコース(交流村とでもいうのか)の近隣コミュニティだということです。
アーミッシュの生活をつぶさに見ることができる有名な観光地で、周囲にはほかにも多くのアーミッシュ村があるとか。