ところで、この場面で映画制作者たちは、この都市の名前を隠喩に使っています。
事件が起きた場所、フィラデルフィア( Philadelphia )という市名は、「同胞愛の地」「友愛の土地」という意味です。
フィラデルフィアは、北アメリカ大陸の東部植民地諸州の代表が集まり、同胞愛の絆を築き上げて同盟を結成して、ブリテンからの独立宣言に署名した都市です。独立宣言から合州国憲法制定まで、独立闘争におけるアメリカの政治首都としての役割を演じました。
phila はギリシャ語で「愛」を意味するフィルスのラテン語表記で、接頭語の形です。そして adelph は「同胞」「友人」という意味のアデルフォスの語幹。
この2つの合成語に「国」「土地」「地方」を意味するラテン語の接尾辞iaをつけたものです。つまり「友愛」「同胞愛」の町ということです。この都市は、18世紀後半にブリテンに抵抗するために北アメリカ植民地諸州が同盟したときから「同胞愛」の拠点です。
同じような合成語に、哲学の Philosophie ( Philosophy )があります。つまり、知(叡智: sophos )を愛する学(愛知学=哲学)というものです。
強い同胞愛=連帯意識に結ばれたアーミッシュが、「友愛の町」で、利己主義、欲望に駆り立てられた殺人――それも警察上層部も絡んだ麻薬犯罪が背景となった殺戮――というできごとに遭遇し目撃してしまうという、逆説的な文脈。
そういうパラドクスというか、現代アメリカ文明の深い病理をアイロニーを込めて譬えているの設定だと思うのです。
一方に、やや古めかしく見えるけれども平和で温和なアーミッシュの世界、同胞との絆や連帯を大切にし、自己抑制と勤勉、節制を第一の徳目とするコミュニティ。
他方に、私的利益をめぐる熾烈な闘いや競争(しばしば直接・間接の暴力をともなう)、駆け引きが横行する世界。
この2つが隣合い共存・並存する不思議な政治共同体が、アメリカ=合州国なのですね。
さて、レイチェルを迎えに来た警察官は、刑事ジョン・ブックです。
事情聴取ののち、サミュエルは何人かの容疑者候補のなかから目撃した人物がいるか確認することになります。しかし、彼らのなかには容疑者はいません。
ところが、サミュエルは警察署内の掲示板のなかに殺人者の顔写真を見つけました。マクフィー警部補です。
賢いサミュエルは、何も言わずに目つきでジョン・ブックに知らせました。
ジョンが捜査したところ、警察が押収した麻薬が巨額の賄賂と引き換えに犯罪組織に還流しているらしいことが判明。
警察内部の人間がかかわっているため、目撃証人は殺害の危険にさらされる――だから、2人を姉の家に匿うことにする。
この判断を、ジョン・ブックは署長のシェイファーに伝えました。
ところが、シェイファーが警察がこの犯罪の黒幕なのです。
ジョン・ブックは、警察内部の集団が犯罪にかかわっていることから、安全をはかるため、レイチェルとサミュエルをひそかにもとのアーミッシュ村(義父の農場)に帰しました。そして、このことは、誰にも知らせないことにしました。
一方、シェイファーはただちにジョン・ブックと目撃者の抹殺を企図し、部下を動かします。
ブックは警察の地下駐車場でマクフィーに銃撃され、重傷を負ってしまいました。この襲撃の周到さから、彼は署長が黒幕だと直観しました。
ブックは姉の車を使ってフィラデルフィアから逃避します。「仲間の裏切り」から逃れるために「友愛の町」から逃避するというのは、じつに皮肉な構図です。