そんなある日、買い出しのため、エリはブックを連れて馬車で町(インターコースの町か)に出かけました。村の男たちもいっしょです。
村にはアーミッシュ見物にやって来た観光客がたくさんいます。
そのなかの1人が、穏やかで手向かいや口ごたえしない村の男たちをからかい始めます。ついに度を越して、その男はホッホライトナー一行の顔にアイスクリームを塗りたくりました。
アーミッシュは、争いを避けるため、こういった「からかい」に対しては無言・無反応・無抵抗の「プロテスト」をするようです。むしろ、相手の低劣さや俗悪さを憐れむように。
というのも彼ら、外部から訪れた「観光客」の低俗な好奇心や無神経な態度に慣れているからです。
おとなしく、それゆえまたあからさまな拒否反応を示さないアーミッシュ。
それをいいことに、無分別なというか、思い上がった観光客たちは、彼らの心情を察することなく(尊厳やプライヴァシーを無視して)、その姿を勝手に写真に取ったり、物珍しげに見つめたりするのです。
そして、観光地としてのインターコースには、そうした観光客の無遠慮な好奇心をタネに商売をおこなう観光業者たちもいるのです。
もちろんなかには、アーミッシュの心情や立場を外来者に理解してもらおうとする者もいるのですが、売り上げ本位の業者も多いようです。
ところが、ブックはたまりかねて、エリをはじめとする村人たちの制止を振り払って、その横柄な観光客を殴り飛ばしてしまいます。
アーミッシュの行動としては前代未聞のアクシデントでした。
それは、追い詰められたブックが鬱憤や憤怒の吐け口を求めたともいえる行為でした。
その少し前、ブックは街中の公衆電話で信頼できる刑事仲間のカーターに連絡を取ろうとして、かれがシェイファー一味に殺されてしまったことを知ったのです。
ブックは怒りとやるせなさから、外の世界に戻ってシェイファーたちに対決を挑もうと決意します。その闘争心や怒りが、この場面でほとばしり出たのかもしれません。
いずれにしろ、「力による対決」はおよそアーミッシュの世界とは相容れないもので、ブックは自分が別の世界に迷い込んだ「異邦人」と感じたに違いありません。
そういう怒りや反撃の心情が、捜査官=刑事としてのブックの正義感や規範意識、職業倫理を支えているのかもしれません。
他方、アーミッシュの人びとは結束し濃密な共同体をつくることで、アメリカ社会のなかで孤高を維持し、自己抑制に富み禁欲苦的な平和主義・非暴力主義の姿勢を保とうとしているのではないでしょうか。
つまりは、ブックはこの村の外来者=異邦人で、不躾な観光客たちと同じ世界に属す人間ということです。
彼の心性や行動スタイルは、根底でアーミッシュとは相容れないものになっているのです。生まれ育った環境・条件が違いすぎるのです。
穏やかな村の生活も、結局はブックにとってなじめない「異邦」なのです。
アーミッシュの世界の人間ばかりだと思っている観光客には、ブックの反撃は衝撃だったはずです。つまり「事件」になっていまいました。
ゆえに、このできごとはメディアに乗り、この地区の警察の把握するところになり、したがってまたシェイファー一味の情報網に把握されることになりました。
レイチェルに惹かれているブック自身の想いや望みとは別のところで、それをはるかに超えた次元で、ブックの属す世界とレイチェルの属す世界とのあいだの越えがたいギャップの論理がはたらき出しました。
こうして、別れに向かわざるをえない流れが動き出してしまいました。