巨大企業や行政権力に対して市民の権利を擁護するために活躍する進歩派弁護士。今度は、自動車事故で家族を失い下半身麻痺に陥った市民のために、最大手の自動車会社を相手に闘いを挑む。
ところが、この会社の顧問法律事務所が法廷に送り出した弁護士は、なんと進歩派弁護士の娘だった。娘は、仕事のためという口実で家庭を犠牲にした父親に強い反発を抱いていた。訴訟で父親に辛辣な攻撃を仕掛けた。
だが、問題の車には重大な欠陥があることを、自動車会社は隠していた。
父と娘の関係に悩む2人の弁護士が、真実と正義をめぐって法廷で格闘する。アメリカ、1991年作品。
原題は Class Action で、日本語にすると「被害者代表訴訟」「集団訴訟」ということになるだろう。この訴訟形態については、あとで説明する。
見どころ:
市民派の弁護士が社会的正義のために、あるいは弱者の権利擁護のために巨大な力を持つ組織に立ち向かう。よくある映画のテーマだ。ゆえに、プロットや登場人物や背景にどういう味つけをするかが問われることになる。
この作品で描かれるのは、自動車事故をめぐる民事訴訟。
車の欠陥(設計上の重大過失)をめぐって巨大企業に闘いを挑む進歩派弁護士、J.タッカー・ウォード。対する企業側の弁護士事務所の担当者は、タッカーの娘、マーガレット・エレノア・ウォード。
原告側弁護士と被告側弁護士とが実の父娘という設定。
進歩派弁護士は社会的には「立派」だが、家庭を平気で犠牲にする独善的な見栄っ張り。父として夫としては落第だ。
その父への反発で、父親とは逆の立場で大企業を弁護する法律事務所で活躍する娘。
だが、市民としての良心や法律家としての正義感が、営利企業のあからさまな権力、あるいは法律事務所の利害とぶつかることがある。
そんな状況設定で、観客を物語りに引き込む巧みさ。それが見ものだ。
マーガレット(マギー)は、進歩的市民派弁護士として活躍する父親が家庭を顧みないことに反発し、弁護士資格を得ると大手法律事務所ではたらくことにした。
ところが、自動車事故にあい、家族を失い身体に障害を負った市民が、自動車の設計の欠陥が事故の原因だったとして巨大自動車会社を訴えた。この会社のクルマはほかにも事故を引き起こしていた。
父親のタッカーは、この会社の自動車の設計の欠陥を告発する代表訴訟の法定代理人となった。マギーはローファームの方針で、この会社の弁護士として父親と法廷で対面することになった。
父と娘は法廷で対決する。マギーは、父への反感とキャリア上昇への欲求に導かれるままに、アルゴ社の弁護に奔走した。
だが、問題となった車の開発・設計の経過、とくに事故試験結果の記録を追いかけるうちに、営利最優先の企業の醜い隠蔽体質と法律事務所の利己主義に直面した。マギーは、自分がめざした理想や目標が組織や権力の欺瞞によって取り込まれていることを知った。
自分らしさを見失わないために、マギーは思い切った賭けに打って出た。マギーは事務所の自己保身戦術に乗った振りをしながら、アルゴの設計ミスによる過失責任を浮き彫りにする作戦を展開した。そして、クイン事務所のグレイザーの違法を白日のもとにさらす作戦だった。
こうして、訴訟の結果は原告側の全面的な勝利だった。
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