ある日、ジャマールの母親は高校の担任教師から呼び出されて面談をおこなった。その女性教員は、かねてからジャマールの才能と読書量、教養に瞠目していた。
面談の中身は、先頃実施された連邦規模での総合学力試験でジャマールがマークした成績についてだった。高校の学科ではごく目立たない成績に甘んじているジャマールだったが、このテストでは頭抜けて優秀な成績を記録したのだ。
このテストは、学校の科目別カリキュラムの進度には無関係に、16歳に達した少年少女について、知識や教養の深さや広さ、洞察力や思考力、論理力、文章表現の力量を評価することを目的としていた。つまりは、優秀な生徒を政府公認の全国組織が評価・認定する試験で、辺鄙な地方や貧しい家庭の少年少女を英才教育の場に向かわせる、メリトクラシーのシステムだ。
このテスト成績の公表については、合州国全域の有名・名門私立高校が注目する。優秀な高校1年生を奨学金制度(scholarship)などの優遇措置を駆使してスカウトしようというのだ。つまりは、16歳の少年少女のヘッドハンティングが展開されるわけだ。
これは、名門校から見れば、優秀な生徒を囲い込んで学業でのパフォーマンスを向上させ、ランキングを上昇させ、経営基盤を強化するための手段だ。評価を受けた(何らかのハンディキャップがある)高校生から見れば、エリートキャリアへの登竜門となる。
女性教師は、すばらしく高いスコアをマークしたので、おそらくニューヨーク近辺の有名私立高校のスカウトから転校の勧誘(申し入れ)があるだろう、と言った。だが、母親は、家計には息子を私立高校に通わせるような余裕はない、と答えた。教師は説明を加えた。
「心配ないわ。この成績だと、奨学金が支給されるでしょうから、お金はかからないわ」
そして、ジャマールのためにチャンスを生かしなさいと勧めた。
少年たちは、ふとしたはずみに、些細なことで冒険や度胸試しに熱中することがある。彼らの冒険心と好奇心の対象になったのは、あの正体不明の老人だった。
ある放課後、ジャマールと仲間たちは、あの謎の老人が住むコーナーの部屋に忍び入って、ちょっとしたものを失敬してきて「勇気の証明」=戦利品としようということになった。この賭けに挑戦するのは、ジャマールともう1人の少年だった。で、みんなは恐る恐る空き地に面する共同住宅の非常階段に忍び寄った。
ジャマールとしてはあの老人に並々ならぬ興味があったので、好機とばかりに賭けに飛びついたのだ。少し怖かったものの、1人で非常階段を登って、開いている窓から忍び入った。室内は暗く、人気もなかった。
ジャマールは部屋のなかを物色し、机の上のペイパーナイフを持ち去ることにして、それをバックパックに入れた。隣の間に入ると、書斎で、書架いっぱいに古典的な名著が並んでいた。本好きのジャマールは感動した。
と、そのとき突然、誰何する老人の声がした。
泡を食ったジャマールは、とっさにドアを開けて外に逃げ出した。だが、バックパックを置き去りにしてしまった。仲間も逃げていて、ジャマールは後ろめたい気分で帰宅した。
母親は「バックパックはどうしたの」と尋ねた。「覚えていない。どこかに置き忘れた」というのが、ジャマールの答えだった。
翌日、いつもの空き地で仲間とバスケットボールをしながらも、コーナーの老人の部屋が気がかりで、ゲイムに身が入らなかった。ついに、1人で窓の下に行って部屋を見上げてみた。そのうちに彼のバックパックが窓から下に放り出された。ジャマールは急いでそれを拾って、あの部屋の方を気にしながら家に向かった。