まもなく、タンクレーディは、シチリアを征圧した遠征軍の幹部(将軍や連隊長)をともなって、サリーナ公爵邸を再訪した。
ドン・ファブリーツィオは、旧来の支配層であったから、新たな軍事的支配者たちが自分たちに対してどのような態度・政策をとろうとするのか、あれこれ懸念して身構えていた。権力の移譲を求めるはずだと。
だが意外にも、将軍は、公爵に対してきわめて丁重に、というよりも卑屈なくらいに謙譲的な態度を見せた。
つまりは、遠征軍の指導者の大半は、この将軍のように、旧来の支配層=有力貴族に対して従順な態度を示すという共同主観にすっかり呪縛されているのだ。
「市民革命」のための軍事的遠征だったはずだが、結局のところ、ピエモンテ王権のもとに各地方の権力と支配層を統合するというだけで、新たな国民的枠組みのもとで権力構造を組み換えるつもりはないようだ。というよりも、ガリバルディの遠征軍(志願兵)でさえ、この戦争=革命についての明確な構想や展望を持ち合わせていないのだ。
ということは、ガリバルディの遠征軍が「革命」を起こして、貴族層が支配してきたシチリアのレジームと都市民衆や農民の従属と貧困を組み換えてくれると期待していた人びとの願望を裏切ることになる。
もちろん、経営手腕と経済感覚に優れた成り上がりのブルジョワたちが、経済的に没落していく貴族たちに取って代わるための「自由」は保証されるであろう。してみれば、寡頭制支配、つまり、ごく少数の富裕な支配層の圧倒的優越と農民や都市住民の従属、収奪(貧窮)という構造それ自体は変わらないということになる。
ということになれば、タンクレーディの政治的選択は、経済的に没落した貴族がふたたびエリートにのし上がっていく戦略としては、きわめて正しいわけだ。
公爵は、眉目秀麗な甥の世の中の変動を見抜く目と抜け目のなさに感心した。旧来の貴族サークルに背を向けた行動スタイルは、むしろ、攻撃的な野心と野望を秘めたものだったのだ、と。
こうして、リソルジメントには、さまざまな潮流が流れ込んでいた。北部の急進的なインテリ、政治参加を望む富裕市民層、そして没落した貴族などなど。ガリバルディの同じ理想(革命思想)を抱く人びとは、むしろ少数だった。
シチリアでも、ガリバルディの代理として兵站を指揮した将軍は、現状に不満を抱く貧農たちの蜂起を暴力的に鎮圧・抑圧した。秩序と平穏を維持するために、下層民衆の運動は抑圧すべきだと判断したらしい。
それというのも、シチリアに遠征してみて、これほど遅れた辺境的な農村地帯をどうやって「来るべき民主主義イタリア」に統合し、馴致すべきかすっかり当惑してしまったからだ。
ガリバルディは、近代的な工業や都市文化を基礎とする国民国家としてのイタリアにナーポリ以南、シチリアを統合することには強く反対したという。あまりに前近代的(「封建的」)で自発的な変革の意欲に乏しい地方を統合すると、むしろ民主主義と経済の発展の足かせになってしまうと考えたからだ。