ある日の早朝、ヤーコブは早起きして、いつもよりも早くレイラを起こした。小雨の降る降る朝だった。
そして、「今日は教会に行くよ。村の若者の結婚式があるんだ。私が司祭をするのだよ。私の手を引いて教会に連れて行っておくれ」
だが、レイラはヤーコブを教会につれていくことを拒否した。それにはもっともな理由があったのだ――レイラの考えはこうだった。
そもそも、あの教会はすっかり寂れて荒れ果て、村人が集まって結婚式をするような状態ではない。ヤ―コブ神父は記憶や意識が混濁してしまったのではないだろうか。このところ手紙が来なくなったため、ヤーコブは老衰が一気に進んでしまい、認知症のようになって蒙昧なことを言い出したのだろう――レイラはそう思ったようだ。
「神父にはもうついていけない。彼はすっかりおかしくなってしまった」
というしだいで、彼女は牧師館を出ていこうと決心した。そのために、牧師の所持金のなかから、いくらかの小銭をちゃっかり盗み出した。とはいっても、これまでの自分の給料分よりもかなり低い金額だった。たぶん、タクシー代のためだろう。
そして、レイラはタクシー会社に電話を入れた。牧師館に迎えに来てほしいと。
一方、ヤーコブ牧師はただ独りで、盲目にもかかわらず、雨のなかを、かつて歩きなれた道だということで、たどたどしく歩いて教会に出かけた。
だが、たどり着いて見ると荒れ果てた教会には誰もいなかった。誰も来る様子がなかった。
そもそも集会用の長椅子が1つもないし、祭壇には長いあいだ使われた様子がない。廃墟然とした教会だった。もっとも、ヤ―コブ神父には、そういう光景は見えない。とはいえ、荒廃した雰囲気は伝わるだろう。
しかしヤーコブはそれでも、祭壇の前に行って、結婚式を取り仕切る手順をたどり始めた。祈祷台の前に行き、結婚式にふさわしい聖書の節を暗誦した。彼は、何十年も前の教会が村人でにぎわっていた頃の光景を脳裏によみがえらせていたのだろうか。
だが、私には、死を予期したヤーコブが、昔を懐かしがりながら、意識的に独り芝居を続けたように見える。
やがて、何かを悟ったかのような、あるいは、ある種の諦念を抱いたかのような表情で、ヤーコブは床に横たわった。そのまま目を閉じ、眠りに就いた。あるいは、そのまま死出の旅に立とうとしたのか。あるいは瞑想をしたのか。
一方、レイラは手荷物をまとめて、タクシーを待った。
やがてタクシーが来て、レイラは車に乗り込んだ。
運転手は言った。
「どこまで行きますか? 行き先を言ってください」
そう聞かれて、レイラは愕然とした。行くあてがまるきりない。どこに行けばいいのか。いや、そもそも、これから自分はどう生きればいいのか。生きる「よすが」が何もない。
結局、どもにも行くあてがないレイラはタクシーに帰ってもらった。
雨のなかでスーツバッグを手にして、呆然と立ち尽くすレイラ。
彼女は牧師館のなかに戻ると、玄関のシャンデリアをはずして、そのフックに紐をかけて首をつろうとした。だが、うまくいかなかった。死ぬこともできない自分に、呆然とするレイラ。
これまで「日常」というべきものがなかったレイラは、惰性で生き続けることもできない。刑務所の外に出たレイラは、日々の惰性や習慣ではなく、自分の意思で生きる「寄る辺」を求め、目的を探して生きていくしかない。
それがないことを悟った今、自分には生きる「よすが」がないということに愕然とした。