ミッション 目次
原題について
考察のテーマと見どころ
あらすじ
物語の歴史的背景
ミッションの物語
ガブリエル神父
奴隷商人メンドーサ
アルタミラーノ枢機卿
インディオとともに生きた修道士たち
ガブリエルという名
南アメリカの「イエズス会布教区」
布教区の滅亡
イベリアの諸王朝の成り立ち
レコンキスタ
ヨーロッパの軍事的・政治的環境の変動
強大な諸王権の出現
ハプスブルク王朝の「大帝国」
できそこないの「フランケンシュタイン」
「国家」が存在しない時代
王権や王国の実態
それでも立派な見栄え
帝国の分裂と反乱
財政危機の深刻化
教会組織の地位とイエズス会
ポルトゥガルの事情
財政危機の深刻化

南アメリカの「イエズス会布教区」

  この作品は、1980年代半ばにブリテンで制作された映画で、おりしもラテンアメリカでは〈解放の神学〉派の神父たちの活躍が世界に報道されるようになっていました。

  イベリアの諸王権(ポルトガルとエスパーニャ)は、15世紀末の大西洋航路の開拓と「新大陸発見」ののち、16世紀はじめからアメリカ大陸の探検と征服を進め、広大な植民地帝国をつくりあげていきました。
  16世紀半ばから、ローマ教会イエズス会は、エスパーニャ王権と教皇庁の認可を得て、パラグァイとアルヘンティーナ、ブラジルの境界地帯にいくつもの伝道使節(修道士団)を派遣し、そこに「イエズス会布教区(reducciones)」を形成していきました。

  密林の原住民(インディオ)に「文明」とキリスト教を伝道し、その地に聖書の福音が描くとおりの「理想郷」を建設しようとしたのです。そこには、トゥピ族とグァラーニ族が暮らしていました。
  インディオ諸部族は、しだいに修道士たちの宣教と説得を受け入れ、やがて密林の奥から抜け出て、ともに定住村落をつくっていきました。イエズス会の修道士は神学だけでなく、医学、法学、農学、音楽、工芸技法などを厳格な規律のもとで修めた知識人で、今でいえば博士号をいくつももったインテリ、専門職のような存在でした。

  イエズス会修道士たちは、私利を追い求める奴隷商人たちの人狩り(奴隷狩り)からインディオを守り、教会や医療施設、学校、工房などの建設を指導しました。
  インディオたちは物覚えが速く、手先も器用で、またたくまに農耕技術や楽器の製作技術を習得していきました。彼らは、とりわけ彫刻や木工で優れた才能を発揮したようです。
  視界の利かない密林で発声の工夫でコミュニケイションを取り会ってきたインディオたちは、音響に関して鋭い感覚を備えていて、すぐれた声楽家であるとともに演奏家だったのです。おごそかな宗教音楽の合唱や器楽の演奏をすばやく巧みにマスターしていきました。

  インディオたちは熱帯作物を栽培したり、高品質のヴァイオリンや木管フルートを製作したりして、主に集落の生活に使い、余剰生産物(楽器や工芸品、食糧)は近隣のヨーロッパ人植民地都市に販売するようになりました。その収益は村人に平等に分配されまし。
  インディオの集落の生活は、原始キリスト教の(階級差や私有財産がない)共同体をあるべき理想・規範として運営されていたのです。
  週に6日(毎日6時間)の労働と1日の安息日。幼児や児童、寡婦は保護され、病人や肢体不自由者も生活を保障されました。教育や文化の享受も認められていた。「原始共産制社会」がそこでは実現されていた。

  安息と自由、平等を求めて、逃亡奴隷たちもそこに逃げ込むようになります。新大陸の多くのヨーロッパ人植民地では、原住民は奴隷や無権利の隷属民として抑圧され、搾取されているのが普通だったのです。
  ところが、イエズス会布教区は、エスパーニャ王権によって特権的に保護され、イエズス会による自治権が認められていたのです。布教区のインディオたちは、欲に目がくらんだヨーロッパ人植民者の収奪や抑圧から逃れて平穏に生活することができました。

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