第3章 都市と国家のはざまで
――ネーデルラントの都市と国家形成――
第3節 ネーデルラントの商業資本と国家
この節の目次
工業での状況はどうだったのか。
伝統的な主導部門である繊維産業はレイデンに集中していた。「新毛織物」――ベイ、セイ、キャメロット、ファスティアン――と呼ばれる製品群もそこで生まれた。北部ネーデルラントには、古くは14世紀のフランデルンにおける騒乱から逃れた人びとが、そして16世紀には独立革命のあおりで多くの人びとが南部から亡命してきた。そのなかには毛織物の製造業者や職人が含まれていたため、技術移転と製造技術の開発や多様化が進んだ。そのため、そこで生産される安価な大衆衣料としての毛織物商品がバルト海地域をはじめとするヨーロッパに普及した。
もっとも、北部ネーデルラント商人たちが、有力な競争相手であるイングランド産の毛織物の中継貿易と仕上げ工程を握っていたことが、繊維産業の優位を支えたという側面も見逃せない。
16世紀までは、イングランドは未仕上げ、未染色の毛織物をネーデルラントに送って仕上げをまかせなければならなかった。イングランド産織布は半製品=素材でしかなかった。当時、縮絨を含めた仕上げ加工は、毛織物生産における付加価値の半分を占める先端技術だった。繊維製品の製造技術での優位は、ネーデルラントが染料生産で圧倒的優位に立ち、品質の良い染料が安価に染色業者に供給され、染色工程でも図抜けた技術をもっていたことにもとづいていた。このほかに縮絨加工や仕上げ意匠で高い技術を独占していた。イングランドの技術的劣位は歴然としていた〔cf. Wallerstein04〕〕。
毛織物生産と貿易でネーデルラントに追いつこうとしたイングランドは、17世紀に入ると、ネーデルラントに産業戦争をしかけた。1614年、イングランド王ジェイムズ1世は、ホラントによる付加価値の高い染色工程の独占を打破するために、白布の輸出を禁止した。これに対抗して連邦共和国が完成布の輸入を禁止して報復すると、イングランドは羊毛を禁輸にして再報復した。だが、イングランドの毛織物業や牧羊業、原毛加工業へのダメージの方が大きかったので、この消耗戦は1617年に終結した。
イングランド商業資本は、ヨーロッパ諸地域の諸産業を国内諸産業に従属させるように連結する力をまだ備えていなかったのだ。羊毛繊維業は、牧羊業や羊毛刈り取り・買取り・輸送集積をおこなう業者、織布業、縮絨業、捺染業、貿易業、小売業などいくつかの密接に関連した産業の連続体をなしていたが、それらをヨーロッパ的規模でひとまとまりのネットワークに統合していたのは、世界貿易を営む一握りの毛織物卸売り商人層だった。彼らのなかでも、ネーデルラント商人が抜きん出た力をもっていて、域内で付加価値性の高い仕上げ工程を直接支配していた。
一般に、ある産業の成長は、密接に関連するいくつかの産業の成長を引きつれて展開する。近代初期において、原材料・関連素材・製造機器など幅広い「すそ野」=関連産業をもつ有力工業は、繊維業と並んで造船業だった。原材料・部品・生産機械・艤装=装備品などの生産などが密接に関連して成長した。そして、船舶建造が関連諸産業を統括していた。
中世ネーデルラントで使われたクレーン
(出典:München, Byerischer Staatsbibliotek)
ネーデルラント(ブリュージュ)では中世から木製クレーンが利用されていた。この絵では、車輪のなかにいる数人が歩いて車輪を回すことで動力を生み出している。水の流れが利用できる場所では水車で動力を得ていたようだ。クレーンは造船や船荷積み降ろし、建築でも利用された。
しかも顧客は、世界貿易を営む海運業者で社会的分業体系の頂点に君臨する業界で、ヨーロッパ中から利潤をかき集めている最有力の産業部門だった。そして、船舶には大砲・刀剣などの武器や食糧飲料、羅針盤、海図、調度品が積み込まれていた。つまり造船業はいくつもの産業を支配しながら、それ自体高い利潤率を期待できる産業で、設備創設や技術開発のために大規模な投資が持続的におこなわれていた。
ネーデルラントでは、この部門でも、技術と経営形態の変革が進んでいた。船舶の製造は、部品や工法が標準化・規格化され、生産の反復可能性を追求した経営方式で営まれていた。生産の機械化も進み、風力製材機、滑車の利用、組合せ滑車の動力式材木送り機、大型クレーンなど労働節約的な機械化で高い生産性を実現していた。船舶および航海に関連した産業も幅広く成立し、「アムステルダムでは、ロープ製造、ビスケット生産、船舶用蝋燭製造、航海用具製造、海図出版など一連の補助産業が成立した〔cf. Wallerstein04〕」。
造船技術および関連産業での優位は、速力と積載容量の大きな船舶や航海技術の高さ、つまり海上輸送能力での優越をネーデルラントの商業に提供した。そして、当時の艦船は武装していたから、造船業は大砲や銃、火薬などの兵器製造とも深く結びついていた。これらは、利益の大きい遠距離貿易あるいは政府の財政支出と結びついた特権的な産業だった。
他方で、これらの産業に原材料を供給する経路も、商業によって組織されていた。造船には、樹木の成長に長い期間がかかるオークなどの木材のほか、タールやピッチが必要だったが、その主要な供給源の1つ、バルト海地方との貿易は、いまやネーデルラント商人がほとんど独占していた。つまり、造船業への生産原材料の安価かつ大量の供給は、商業資本の権力と世界貿易での優位によって保証されたわけだが、ひるがえってそれは安くて優れた性能の船舶を商業に供給し、貿易・海運業の世界貿易でのさらなる競争力を保証した。
ネーデルラントは、このほかの工業部門でも優位を誇っていた。カリブ地域で栽培されたさとうきびが砂糖の原料として定着する17世紀後半までは、甜菜(ビート:砂糖大根)を原料とする精糖業の中心地だったし、精糖に付随する蒸留酒製造業も17世紀をつうじて上昇した。製材業、製紙業、出版・印刷業、煉瓦製造・石灰産業、窯業、タバコ生産、輸出向け皮革産業も成長し、油脂・石鹸製造は17世紀中葉に最盛期を迎えた。染料生産を中心とする化学工業もヨーロッパの最先端を走っていた。
火薬・武器・船舶武装などを扱う兵器軍需産業は、80年間にわたる北部諸州の独立戦争から膨大な需要を引き出した。有力商人が指導していた都市、州ならびに連邦政府は、軍需物資の生産と輸入を奨励した。この産業は、諸王権の角逐によってヨーロッパで断続する戦役のたびに有力な顧客・市場を獲得していき、16世紀末には大規模な輸出をおこなうようになった〔cf. Wallerstein04〕。とりわけ航海や交易に乗り出そうとする諸王権、諸都市に武装船舶を売り込んだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成