映像は1960年代に移る。これまで描かれた人物たちのその後の人生あるいは子どもの世代の青春とが描かれる。
1961年の冬、エディットは故郷ディジョンを離れてパリに移り住むことになった。パリで婚約者が出迎えるはずだった。新しい人生に期待を抱いて、エディットは列車に乗った。
彼女が乗り込んだ車両には、アルジェリア戦線から帰還してきた若者たちがいた。彼らは皆、古い植民地主義・権威主義にしがみついていた政権と軍によって意味のない北アフリカの戦争に送り込まれ、恐怖と敗北を味わい、精神的に深く傷ついて帰ってきた。だから、世の中や自分の人生について斜に構えていた。
そんな若者のなかに、ロベール・プラがいた。
ロベールは、アンヌとシモンが乗る列車がドイツに向けて出発した夜、牧師館のドアの外に置き去りにされた、あの乳児だった。赤ん坊を見つけた牧師は、教区の人びとの助けを得てその子を育て、やがてパリがドイツ軍から解放されると、喜びに沸く市民のなかから、愛情あふれる里親を見つけた。それがプラ夫妻で、ロベールはプラ家で育てられた。
さて、アルジェリアから帰ったロベールは大学で学び弁護士になった。いっしょに帰還した戦友たちも、それぞれの人生を送ることになった。ジャックはプロボクサーをめざしたが、リングで叩きのめされ夢を打ち砕かれ、レストランのウェイターになった。裕福な家系のフランシスは事業家になり、経済成長とともに資産を築いていった。
戦友たちは付き合いを続けて、ときには集まって飲み明かしたり、思い出を語り合ったりした。
やがて野心を抱いたロベールはやり手の弁護士になり、富と地位を築いていった。やがて結婚し、男の子をもうけた。
だが、フランシスは心のバランスを、あのアルジェリアの戦場の悲惨な光景のなかで失ってしまったらしい。酒や睡眠薬に溺れ、いつしか自殺を試みるようになった。何回目かに、ついに自殺に「成功」してしまった。
この間に、パリでは1968年に「パリ革命(学生や勤労市民の反乱とジェネラルストライク)」が発生していた。この反乱と騒乱をつうじて、既成のあらゆる権威に対して批判や嫌悪、懐疑が投げつけられ、古い規範や道徳、秩序が動揺した。
ロベールと戦友たちは、それぞれの立場で、この変革の試みと挫折を味わったに違いない。
ところで、パリに出たエディットは結局、婚約者と会うことができなかった。で、大都会のなかでただ1人、エディットは自分の生きる道を捜し求め、模索し続けることになった。
最初に勤めたのは、バレエ学校の清掃係。そのうち、バレエやダンスを習うようになり、ダンスティームのメンバーとしてショウやメディアに(脇役、端役として)出演することになった。演劇や歌手へも道も試みた。
結局、テレヴィ局のアナウンサーや報道キャスターの仕事に納まった。