そして、1970年代末から80年。
ロベールは家族の解体に悩んでいた。彼自身、家庭をほったらかして、行きずりの恋を楽しんでいた。やがて、エディットと出会い同棲することになった。
ロベールは自分勝手な生活を送っていたくせに、自分自身の人生を見つけようとする息子、パトリックの模索を理解しようとしなかった。パトリックはフランス海軍の兵役についたが短期間で辞めた。そして、詩や歌を書いて自分で歌うようになった。若者のそんな試行錯誤が理解できなかった。
パトリックは実の祖父母(シモンとアンヌ)の血を引いていて、音楽に対する愛着が強かったのだ。
ロベールは息子との深い溝=断絶を思い知った。弁護士になって、自分の金銭上あるいや地位などをめぐる利害得失ばかりを追いかけているうちに、若者が自分の生き方を見つけようとして悩む姿(自分もかつて経験したのに)を理解しようとしなくなっていた。ロベールの利己的姿勢や「現実主義」を見限ってエディットは出て行ってしまった。
そんなとき、ふとしたきっかけで、ロベールは自分は里子として育ったことを知った。本当の父母がユダヤ人で、前の対戦中、強制収容所に送られる途中で、列車から赤ん坊だった彼を逃したこと。それを牧師が育てて、里親を探してくれたこと。本当の母親は、戦争後ずっと、彼と別れた駅を訪れて彼の行方を尋ねて回っていたことを知った。
彼は、アンヌの消息をつかもうと調査したところ、アンヌは今、精神病院の療養センターにいることをつかんだ。
この調査の過程で、ユダヤ人をはじめとする多くの人びとが戦争中に酷い苦悩を経験したことを、あらためて実感した。即物主義的な生き方を少しずつ反省するようになった。自分の道を見つけようともがくパトリックの生き方にも、いく分理解を示すようになった。
ロベールは、アンヌがいる療養施設を訪ねた。緑滴る美しい庭園のベンチにアンヌが座っていた。ロベールはアンヌの傍らに腰を下ろして話しかけた。が、アンヌの意識はあらぬ方に向いていた。彼女の精神は、過去をすっかり封じ込めていたのだ。
いくら話しかけても返答しない母親とのコミュニケイションをあきらめて、ベンチから離れて歩き始めた。だが、どうしても立ち去りがたく、アンヌの傍らに戻っていった。