この作品では、アメリカの軍産複合体の一角をなす巨大軍需企業が、名門の有力政治家の家門と結託して、大統領府を乗っ取ろうとする謀略が描かれる。
物語の背景にあるのは、湾岸戦争だ。そして、湾岸戦争でクウェイト方面に派遣され戦闘に参加した兵士たちが抱える、悲惨なPTSD(心的後遺症)が事件展開の鍵になっている。
⇒映画『クライシス・オブ・アメリカ』の物語についての記事
合衆国政府に軍需物資を売り込む大企業は、物資――兵器や薬品、医療サーヴィス――の補給だけでなく、それらとパッケイジにして、戦場や後方でのその運用政策まで、政府=軍に「納品」している。政府の軍事政策や戦略まで提案し、かつ、それらを具体的に担うシステムの運用管理さえ受託契約を結んでいる。
つまり、作戦運用の外部発注=民営化が国家の戦争政策の主要な環になっているのだ。有力な兵器については、その戦場での運用方法、補給体系、メインテナンスまでパッケイジになっているので、戦術や作戦も軍需企業の構想に応じたものになることもあるようだ。
こうした現実を背景に、ここでは医療技術――施術・投薬などの全体――をめぐって発生する可能性がある陰謀を描いている。あながち荒唐無稽とは言えないところが、怖いところだ。
謀略を首謀した企業は、数百億ドルにものぼる物資補給体系のなかの1部門として、医薬品や戦場での治療装置を軍に納入している多国籍コングロマリットである。医療物資・サーヴィスには、前線の兵士の健康状態や生体情報(負傷や死亡をめぐる)を管理するシステムやサーヴィスも含まれている。
ところが、湾岸戦争で前線に赴く兵員たちに施されたのは、このシステム・サーヴィスの試験的運用の名を借りた「人体実験」だった。
この「人体実験」とは、前線の兵士の精神や行動を完全にコントロールするためのチップを体内に埋め込み、操作することを目的としていた。
ところが、前線に送られる兵士のなかに、ある有力な元老院議員の子息がいた。親に反発して軍に入隊したのだ。その母親(元老院議員)は、くだんの軍需企業と共謀して、息子の体内と脳に、あらかじめプロットしたプログラムに沿ってロボットのように心と行動を統制できるチップを埋め込んだ。
政界での家門の権力を拡大補強するために、息子を実験台にしたのだ。わが息子は、家門の権力のために奉仕する道具と見なしているわけだ。つまり、彼自身の人格と人間性はまったく否定されているのだ。
とはいえ、彼女の心理においては、息子をロボット化して家門の権勢を増大させるのは「今や深刻な危機に陥っているアメリカ(なるもの)」を救うためなのだと真剣に思っているのだ。つまり、自己(家門)の肥大化によって権勢を自己目的化しているのだ。
その息子は、自分が属する小隊を敵の奇襲から救った英雄として帰国し、やがて父親の後を継ぐように政界入りし、元老院議員となる。そして、史上最年少の副大統領候補となって、大統領選挙キャンペインに参戦する。
ところが、党の大統領候補が勝利した直後に暗殺され、彼が後任の臨時大統領となるというシナリオの謀略が背後で動いていた。彼は、あのチップのプログラムに誘導されて、この謀略を知った政治家を暗殺する。
けれども、自分の意識を回復した彼は、自分を家門の権力の道具として扱う母親とその陰謀を嫌悪し、新大統領を狙う狙撃者の銃弾を自ら――母親を道連れに――受けて死亡し、陰謀を挫折させることになった。
湾岸戦争のときに上官だった男の助けを借りての「自殺――そして謀略封じ――」だった。
さて、上官だったその男は、帰国後、ひどいPTSDによる頭痛や幻覚に悩まされていた。この障害は、体内に埋め込まれたチップの作用によるものだった。
同じ小隊の生還者の全員が、同じ障害に苦しめられるか、あるいは奇怪な事故に巻き込まれて死亡していた。
その謎=疑惑を追跡しているうちに、彼は、政界入りして、ついに副大統領候補になった戦友(下僚)に再会し、その異常と不審な振る舞いに気がついたのだった。
その男は、元老院議員となった戦友の不審な言動に疑いをもって調査しているうちに、陰謀の構図を知り、戦友から陰謀の阻止のための支援を頼まれた形になった。
さて映画の原題は The Manchurian Cancidate で、古典的作品のリメイクということで、内容には会わない題名になっている。冷戦構造下の朝鮮戦争後の社会状況を背景にする物語だった。
そのため、日本公開に際しては『クライシス・オブ・アメリカ』となった。邦題が意味する「アメリカなるものの危機」とは、権力願望の塊になっていた「母親」が、合州国における軍の権力の拡張と軍による社会の統制を訴える場面で、彼女がその主張の根拠として述べたものだった。
イラク戦争の戦略・政策の失敗で、軍の権威と信頼が低落してしまった状況を嘆く台詞だった。この威信の低下を軍産複合体のさらなる強大化、軍事国家化によってカヴァーしようというのだ。それはブッシュ息子時代の「新保守主義」のスローガンだった。
映画の制作陣は、今ではすっかり威信を失った「ネオコン」の妄執を揶揄したのだ。