第9地区 目次
地球人類とエイリアン
見どころ
ヨハネスブルクのエイリアン
エイリアンの惨めな生活
エンジニア父子
ウィクスの悲劇
三つ巴の戦い
花を愛するエイリアン
エイリアンは人類像の投影
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地球人類とエイリアン

  地球外生物エイリアンと人類との遭遇を描いた映画作品としては、まず一方に、『エイリアン』シリーズのように人類を餌として食い漁る恐ろしい生物との戦いとか、『宇宙戦争』のように地球征服を狙う侵略者との戦いなど、エイリアンとの敵対を描くものがある。
  あるいは他方、『ET』のように地球外の知的生命体 extraterrestrial との精神的な交流を描くファンタジーもある。

  このようなエイリアン映画では、宇宙生物は地球人とは別次元の存在として描かれている。別次元というのは、おぞましいにしろ、知的で豊かな心を持つにしろ、地球人類の日常の社会生活とかけ離れた次元という意味だ。
  それでは、地球人類と同様な(似たような)トホホな生活臭さを持つ社会的な生き物として描いたらどうなるか。しかも、地球上の格差や差別、貧困に悩む存在としてあがくとしたら……。
  今回は、そんな問題意識が強く感じられる作品を取り上げてみよう。

  南アフリカ共和国、アメリカ合衆国、ニュウジーランドの映画人の合作映画『第9地区』はこんな物語だ。
  1982年、いまだアパルトヘイトが存続していた頃の南アフリカ共和国の上空にあるとき巨大な宇宙船がやって来て静止した。事故に遭ったらしい。
  そこから地上に落ちてきたのは、甲殻類から発達したと思われる――エビのような姿態をした――地球外の知的生命体の一群だった。たぶん何十光年も彼方から飛来できるほどの科学技術を備えた文明をもつエイリアンなのだろう。
  政府は、宇宙人たちをある地区内に隔離して監視することにした。その地区は、差別された貧しい黒人階層がひしめき合って暮らす地区のなかにあった。
  ところが、宇宙船が「難破」したのか、宇宙空間の長距離飛行ができるほどの文明を備えているにもかかわらず、宇宙人たちの地上での生活はホームレスか難民のような状態にあった。
  地球人には蔑視され危険視され、差別や疎外の憂き目に遭っていた。宇宙人たちは、この国で最下層の身分である黒人たちからも差別され、侮蔑されることもあった。

  『第9地区』の原題は District 9 、「9番地区」という意味になる。
  ところで、「エイリアン: alien 」という語は、一般に「外国人」とか「異質な存在⇒ heterogeneous 」という意味で使われる。これを、「地球人類とは異質な存在」という特殊な意味に使うと「異星人」「地球外生命体」ということになる。
  本来の意味から考えると、「普通の人間たちから疎外され、遠ざけられた存在」という意味合いがある。「疎外: alienation 」というのは、カール・マルクスの用法――ドイツ語では Entfremdung ――にしたがうと、「社会的に差別され、抑圧され、搾取され、この世の苦難を集中的に負わされた存在」とされる状態を意味する。

  この映画では、異星人たちはまさにそのように疎外された状態に置かれているのだ。とはいえ、哺乳動物として進化してきた地球人類とは感情や心理の仕組みが異なっているらしく、貧困地区で疎外されていることには無頓着のようにも見える。あるいは、隔離されているため地球人類の社会のことをまったく知らないので、人類の生存様式が、南アフリカのアパルトヘイト下で暮らす黒人層が標準なのだと感じているのかもしれない。

  だがしかし私としては、この映画の時代設定というか社会的背景がわからない。本当にアパルトヘイト時代の南アフリカなのか、それともアパルトヘイトが廃絶された後にも経済的に自然発生し続ける経済的貧困や差別の構造が残っている社会なのか、まったく不明だ。
  南アフリカのある部分社会を写し取ったようなパラレルワールドが舞台なのかもしれない。アパルトヘイトがなくなっても経済格差と貧困が蔓延する南アフリカ社会あるいは民営化が行き過ぎたアングロサクスン社会を風刺的に戯画化した世界なのか。

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