・・・オマージュ 目次
ソ連社会の仕組みはなんだったのか
何が問題なのか
世界システム理論からの展望
ソ連における特異な資本主義
なぜ国家は存在するのか
特異な資本蓄積と資本の権力
経済計画と生産の無政府性
拡大再生産と消費との矛盾
世界経済の文脈で
ソ連型マルクシズムの欠陥
アポリアとしての資本主義
 
旧ソ連社会の構造を探る
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ヨーロッパの解放

ソ連型マルクシズムの欠陥

  第2次世界戦争後ひとたび東欧諸国をソ連の政治的・軍事的支配圏に引き込み、世界市場から離脱させ、工業の復興と育成ののち世界市場での国際競争に復帰する戦略は失敗した。兵営型の中央指令経済のシステムでは、西側が達成したような工業の建設や資本循環を誘導できなったということだ。
  ソ連のレジームの経済運営をめぐる制度上の一番の欠陥をもたらした最大の原因は、ヨーロッパで工業の成長を誘導した流通=商業の組織化と金融システムの組織化の役割=意味をまったく理解できなかったことだ。資本蓄積にとって市場メカニズムがもつ役割・意味についてまったく理解できなかったから、硬直的な中央経済計画のレジームを固守し続けたのだ。

  というのも理論上、マルクスの著作《資本》――政治経済学批判の体系――のうち、従来の革命家やソ連アカデミズムが十分に研究できたのは1巻だけで、2巻や3巻、そして《要綱》でマルクスが再三繰り返して悩み壁にぶち当たった――結局ほとんどまったく分析できなかった――問題、つまり世界貿易と金融システムについて、ほとんど理解できなかったからだ。流通過程を組織化し支配する資本の権力と役割について理解することが、西側の資本蓄積が「成功」した原因の解明には不可欠だったのだ。

  西側諸国の経済成長と資本蓄積もまた――ソ連東欧の経済と相まって――結局のところ、人類の経済格差や敵対性を増幅させ、地球環境・生態系の破壊をもたらし、文明の危機をもたらすことになったのだが。

  じつは社会の経済的再生産の運動体系を認識するうえで、一般に商業、とりわけ世界貿易と金融の権力構造を分析することは、決定的に重要である。
  ところが、ソ連型マルクシズムは、経済システムを把握するさいに、「生産関係」ないし「直接的生産過程」を「本質的なもの」と位置づけて、流通や金融(それを世界的に組織化する権力構造)を派生的で副次的・従属的な要因と見なし、結局、等閑視する。その限り、資本主義的経済の体系的認識は成り立たない。
  経済運営もまた、その程度の底の浅い知識に依拠したものになってしまった。

  工業生産の成長にとって商業と金融が果たしてきた歴史的な決定的に支配的な役割=機能は、社会の技術発展やニーズの把握・誘導、つまりは再生産の方向づけにかかわる最重要なモメントである。
  要するに、ソ連の経済運営は、世界経済のニーズの動向、技術開発のトレンドなどの把握、そしてニーズに即応した資源配分、資金供給の仕組みの構築がまったくなかったのだ。ことに、ソ連では、国家による資源配分はあったが、まともな通貨制度にもとづく金融市場・金融システムは組織されなかった。「社会主義の看板」が邪魔をしたのだ。⇒参考資料

アポリアとしての資本主義

  この問題は経済学や経済史でも最難問なのだが、ソ連型マルクシズムと関連させてごく大雑把に見ておこう。
  論理的には、「社会主義」なるものを実現するためには、総体としての資本主義的経済の体系を「そっくり組み換える」ということだ。ソ連で革命を推進しようとしたマルクシストたちは、資本主義的社会と質的に決定的に異なる社会システムを構築するために何よりも重要なのは、生産過程での権力を権力を組み換えることで、そのためには所有権力を労働者人民を代表する政治組織(国家)に全面的に移転させることだと考えた。
  所有権力を資本家階級から奪い取って国家に移せば、生産過程全体の資本主義的性格は組み換えられる、と。

  だが、社会全体では多数の個別企業が互いに競争し合うシステムになっている。そこでは、資本家階級の権力は多数の企業の所有権・経営権に分割され、また造船や自動車製造、電気機器などの製造業や農業など・・・さまざまな産業部門に分割され、また貿易や国内商業などの多様な流通商業活動を担う企業群、貨幣循環=金融を担う企業群などに専門特化している。
  つまり、それぞれの市場群があって、激しい競争のなかでそれぞれ需要を感知あるいは創出、誘導し合っている。
  このような複合的な社会的分業体系のなかで、無数の個別資本の所有の経済的運動がどのように絡みあい連動して、資本循環や景気循環がつくり出されるかについては、マルクシズムはもとより、ほかのいかなる経済思想・理論も解答を見いだしえていないのだ。そういうものが集合して総体としての資本の権力を構造化しているのだ。

  所有権を国家に一元化したとか、国家の中央装置が経済を計画的に運営するとか、そういう看板をどうデザインしようが、この複雑な社会的分業体系の運動や変動を制御するのは不可能だ。国有化や国営化は、資本家の機能が国有企業や国営企業の経営指導部に名前を変えるだけで、内容=実体は変わらない。
  多数の個別企業が利潤を得て成長し、生き延びようとする競争を互いにし合う社会的分業体系が存在する限り、不可避的・必然的にそれは資本主義的競争に発展し、市場における独占状態や寡占ヒエラルヒーが再生産されていく。
  この構造は変えようがない。どこから手をつけても、解決=克服の糸口すらつかめないものなのだ。

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