ヤーコブ神父への手紙 目次
・・・人は生き続ける
あらすじ&見どころ
レ イ ラ
ヤーコブ牧師
ヤーコブ神父の仕事
郵便配達人
深夜の出来事
隔てられし者、日々に疎し
生きる力を与えるもの
レイラの過去
ヤーコブ神父の死
簡素な、簡素な物語
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人生を見つめ直す映画
阿弥陀堂だより
大誘拐
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

ヤーコブ神父の死

  しばらくしてヤーコブ牧師は「今日は私が午後のお茶の用意をしよう」と言って席を立って牧師館に向かった。
  たぶん、レイラはヤーコブの言葉を聞いてはいなかっただろう。
  それからずい分時間が経過したが、ヤーコブ牧師は戻ってこなかった。
  ふとわれに返ったレイラは、お茶の用意をしようと牧師館に入った。そして、おやつのパンとお茶を持ってヤーコブの寝室に行った。
  ヤーコブはベッドに安らかに横たわっていた。レイラが読んでも目覚めないので、近づいて体に触れると、彼はすでに息を引き取っていた。ヤーコブの顔は、穏やかな寝顔のようだった。
  レイラはあわてて警察に連絡した。
  それから数時間後のこと。
  おそらく警察は簡単な検視をしたのだろうが、ヤーコブ牧師が老衰死であることは明らかだった。だから葬儀社の霊柩車が来てヤーコブの遺体を引き取っていった。とりたてて葬儀はおこなわれないようだ。
  レイラと郵便配達人が霊柩車を見送るだけの、簡単な告別だった。
  というところで、映像物語は終わる。

■■簡素な、簡素な物語■■

  見てきたように、この作品はじつにシンプルな物語で、入り組んだ状況もなければ、余計な装飾(脚色や演出)がまるでない。たぶん観客が途中で予測したとおりの結末を迎える。
  世の中との一切のかかわりを断ち切るように、殺人の罪で終身刑に服していたレイラ。なぜ、彼女は殺人罪を犯したのか。そのレイラがなぜ、特赦を受けるようになったのか。
  釈放後、レイラの身を引き取ったヤーコブ神父の意図は何だったのか。
  そして、レイラが、生存する唯一の肉親・親族らしい姉との関係を断とうとしてきた事情、理由はどういうものなのか。
  そのような物語の冒頭から観客が抱く疑問に、すこぶるシンプルに答えていく、そういう物語だ。

  「ひねり」もなければ謎解きもない、ごくごく簡素に物語は流れる。
  私としては、この飾り気のない映像物語がいたく気に入った。
  物語を複雑にして輻輳させて、見せ場をいくつも用意するという現代の映像創作の手法からはかけ離れている。そういう現代風の、ハリウッド風の物語展開や脚色に慣れ親しんでいる観客の多くは、戸惑うだろう。
  あるいは面白さを感じないかもしれない。
  だが、私の心に残った深い印象は何だろうか。
  見終わったのち、私としては、いかにもフィンランドらしい作品だと思った。もちろん、フィンランドについては詳しく知るわけではない。だが、北欧のヒューマニズムを体現したピュアでシンプルな映像物語だ、と勝手に感じた。

  この簡素さには、北欧人の静かであるが底深い人間性への信頼(希望)や自信にもとづいているのではないか、と。
  これだけの簡潔な映像物語をつくって、映画ビズネスの市場に――とりあえずはフィンランド国内とか北欧諸国、ドイツなどに向けて――提供することにあえて挑戦した。そして、ヨーロッパでは大きな成功を収めたという。多くの人びとが、この作品に共感したということだ。
  現代人の何か切実な心のニーズにストレイトに応えた。というよりも、私たちが映像物語に求めている何かに符合したということだ。ささやかで静かな感動。
  人間不信や自己不信に陥っている私たちが、人間性に対する信頼感を取り戻したいという、深いところにある「控え目」な要求・渇望に、これまた控えめに応えた作品ということだろうか。

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