このドラマ・シリーズでは、犯罪そのものの経緯はまず描かれることはない。それというのも、アクションやヴァイオレンスの描写が目的ではなく、アメリカ――ことにニュウヨーク市の――犯罪捜査と刑事司法手続き、警察や検察の動きを描くことが眼目なのだからだ。
このシリーズは、このように大学法学部の学生向けの教材にもなりうる質の高い番組を提供するアメリカのマスメディアの懐の深さを示すものだ。国外からの移民が多いアメリカでは、アメリカの刑事司法の仕組みについて情報を提供して、移民系市民たちに――もとより一般市民全体にとっても――学習機会をつくる必要があるのかもしれない。
映像が描くのは、
などである。
内容からすれば、アメリカの犯罪捜査と刑事訴訟や司法手続きなどを学びたい人たちにとって、絶好の素材となるだろう。とくに将来、刑事司法の分野を学びたい人たち――警察官や検察官、判事、弁護士をめざす人たち――にとっては、難解な専門書だけでは理解できない刑事司法の現実を実感するうえでは、大変役に立つ物語だ。
1960年代から70年代のスウェーデンで警察による犯罪捜査をつうじて社会状況の構造と変動を描き出そうとした小説『刑事マルティン・ベック』(マーイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー著)シリーズに比肩できる作品群だ。『マルティン・ベック』シリーズを、アメリカの刑事司法の世界に当てはめたような、すぐれた内容だといえる。
つまり、このシリーズは、現代アメリカ社会が抱える問題を、犯罪をめぐる刑事司法の側面から切り取って分析しているともいえる。
描かれる社会問題としては、たとえば児童虐待(ドメスティック・ヴァイオレンス)、医療過誤、麻薬密売、人種対立、性同一性障害、HIV、アルコールないし薬物依存症、行政と企業の癒着、警察組織内部の腐敗などなど。
それぞれの物語は、実際に起きた事件をもとにして相当の脚色をしてフィクションに仕立てられている。フィクションによって、事件がはらんでいる問題を鮮明に浮かび上がらせている――すなわちドキュメンタリー・フィクション。
それでは、いくつかの典型的作品を一瞥しよう(順不同)。
記事中での邦題見出しは日本版の版元オリジナルではなく、私の勝手なテーマ表示である。そこで、原題をつけ添えておく。
ドラマで登場する合衆国の「地区検事局」の制度を説明しておく。
地区検事(地区首席検事: DA : district attorney )は、有資格者のなかから任期ごとに住民による選挙で選ばれる。つまりは、政治的任命である――だから法曹資格のない有力市民が選出されることもありうる。アターニーとは、法律家、法定代理人という意味で、検事も弁護士もともにアターニーと呼ばれる。国家とか自治体などの政治体を代表して刑事訴追を担う法律家が検察組織・検事だ。
で、地区検事の指揮下で検察職務の実務を担うのは、地区検事局の主任検事補( EADA : executive assistant district attorney
)とその補佐の検事補( ADA : assistant district attorney )である。名称上は補佐官だが、実際には敏腕のやり手検事・検察官である。
ここでのアシスタントという意味は「政治的・行政的組織においては補佐的な」という意味で、実務的には「専任的」「主導的」なのだ。