世界の「民主主義の模範国」を自任し、その価値観を世界に押し付けようとしてきたアメリカ。だが、国内で性別ないし人種・民族による深刻かつ露骨な差別が政治や文化の表舞台から退いたのは、つい最近のことだ。
この映画は、1960〜70年代までアメリカ深南部で執拗に持続していた人種差別の深刻さ、その解決=公民権の普及を阻んでいた障壁の大きさを描いた傑作。現在では「ヘイトクライム」とされる苛烈な人種差別と抑圧が、わずか40年前のアメリカ南部諸州では日常的なできごとで、州政府から地方行政、コミュニティまで構造化していたのだ。
「アメリカ合衆国」は広大で複合的な国民( nation )だ。多様性に富んでいる。おぞましい人種差別や暴力を持続させ、増幅させてきたのもアメリカ人(の特殊な地域集団)なら、黒人の公民権獲得や普及に命をかけるのもアメリカ人、差別が犯罪を生み出すような「制度としての差別」を再生産する仕組みを糺し、その解消のために司法的・行政的に介入するFBIもまたアメリカ人なのだ。
私たちは、それらを相対的かつ総体的に理解するしかない。
映画作品の原題は、Mississippi Burning 。「ミシシッピでの焼き討ち事件」というほどの意味だが、物語の内容からすると、「炎上するミシシッピ」「ミシシッピ州で燃え上がった憎悪の炎」と訳した方がいいかもしれない。1988年作品。
原題の burning は、事件とか差別・憎悪が燃え盛る様子を表すようにも訳せるが、KKKや差別主義者たちがおこなった襲撃=焼き討ち事件を意味するようにも理解できる。その焼き討ちは、黒人の住居や集会場、教会などを標的にしたものだ。
見どころ:
これは、1964年6月、ミシシッピ州の片田舎で実際に発生した残虐な殺戮事件に着想を得て制作された作品。3人の市民権(公民権)運動家が、町の保安官助手を含むKKK団員によってなぶり殺しにされた。
この事件はマスコミをつうじて広範な全米市民に伝えられ、大きな衝撃を与えた。世論に押されて、FBIは重い腰を上げて、連邦犯罪として捜査に乗り出した。その結果、ミシシッピをはじめとする深南部(
the deep south )には、いまだに深刻な人種差別が続いていて、半ば公然と黒人や有色人種への抑圧や暴力(殺人を含む)が頻発している実態が明らかになった。
アメリカの内なる構造的病理を描き出した問題作。
1964年6月、北部からキャンペインにやってきた公民権運動家たちが消息を絶った。人種差別を公然と主張する白人の集団に虐殺されたのだ。FBIが捜査に乗り出したが、地元住民や行政機関の隠然・公然の執拗な妨害で、真相は闇のなかに隠れていた。
ところが、ミシシッピ州ミシシッピの片田舎の事件は全米的な関心を呼んだ。FBI捜査陣は捜査に躍起になった。やがて、アンダースンは、美容師の女性から重要な証言を引き出し、真相への突破口が開けた。
だが、その女性はKKK団員の夫からひどい暴行を受けてしまった。アンダースンは、ついに、なかば違法の「目には目を、歯に歯を」の作戦を推進することになった。捜査と治安のために海軍部隊が動員・派遣され、さながら内戦寸前のような状況になった。そして、醜悪な真相が浮かび上がってきた。
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