ヘルシンキの眺望
話題を物語に戻そう。
さて、サチエとミドリの夕食は、今しがたの説明からわかるように、日本でいえばかなり明るい午後のような明るさのもとで、ということになる。ちょっと想像してみよう。いや、映像を見て確認すればいいだろう。
午後7時頃に夕食をとったとして、日没までにまだ5時間近くもある、そんな頃合いなのだから、夕闇のなかで感傷的になるのとは訳が違うのではなかろうか。
そんな頃合いに、夕食のご飯で涙ぐむミドリの心境は……と考えると、悲しみというよりも、決心の強さとその決心を誘導した彼女の立場が何となく理解できそうだ。それだけ日本でしんどい目に遭ったというか、苦悩したのだろう。
夕食と雑談のあと、サチエは、合気道武道家の父親に鍛えられてきたので、寝る前のストレッチとして「膝行」をやり始める。これが彼女の習慣、生活の規則なのだ。なかなかに姿が決まっている。
そして昼間の休憩時間だろうか、市内のプールで水泳をやる。そのプールは、古代ローマの共同浴場によく似た造りの施設である。
さて、この映像物語の面白さは、できごとや場面ごとの奇抜な会話にある。
■そよ風のように軽やかなコンセプト■
サチエの和風食堂のイメイジというかコンセプトは、おにぎりをメインメニュウとする普通の日本食の店を営むということだ。
それを聞いたミドリはサチエに
「なぜ、ここでそういう日本食堂を開いたのか」と尋ねた。
その答えがふるっている。
「別に日本じゃなくてもいいかなあ、と思って……フィンランドなら何とかなるだろうと思ったの。
日本食で朝一番の食事はというと、やはりサケ(切り身)の塩焼きでしょう。……フィンランドで獲れる魚といえば、サーモン。ほら、サケでしょう」
この答えにミドリが感心すると、「今――ここで聞かれたから――思いついた答えなの」とサチエ。
フィンランドなら、フィンランド人の暮らしぶりなら、宣伝も無理もせずにマイペイスでまじめに続けていれば、サチエがつくる日本食の良さが理解されていくだろう、というのだ。サチエの感覚と考えでは、フィンランドという国はそういうものなのだ。
斬新さや奇抜さ、あるいはハッタリ、あるいはネイムヴァリュウにはあまり目をくれず、実質の豊かさを見抜き大らかに受け入れてくれるお国柄ということだろうか。北極圏での日常生活は、忍耐強く視野の長い感性と理性を何よりも大事にするということだろうか。