翌朝、ミドリはこの店を手伝わせてほしい――給料はいらないから、掃除でも何でもします、と言い出して――とサチエに頼み込んだ。というわけで、まだ客が1人も来ない食堂に働き手が2人の女性ということになった。突飛に見えるが、利潤や利益をあげることよりも、まず手をかけて準備し料理をつくるという発想がいいなあ。
    
      その朝も、あの好奇心旺盛な3人連れの老女たちがやって来て、
      「あら、今日は大柄な女性もいるわね」と評論。
      だが、サチエが彼女らに軽く微笑むと、そそくさと立ち去った。店に入るだけの決心をするに足る「きっかけ」がないのだ。引っ込み思案というか、とにかく日本人に似た性格だ。
    
      客が来そうもない店のなかで、ミドリはメニュウペイパーをもってくると、イラストを描き入れ始めた。カモメとか食材の絵を描き入れた。
      そこでのミドリとサチエとの会話。
    ミドリ:「よくはじめて出会った私なんかを家に泊らないかと誘いましたね」
    サチエ:「ガッチャマンの歌詞を完璧に歌える人に悪い人はいないと思ったから」
    ミドリ:「あ、それ今思いついた答えでしょう」 
    サチエ:「わかりました?!」 
    ミドリ:「ねえ、知ってました?!……スナフキンとミーって、兄妹なんですって」
    サチエ:「ほんと?! へえー、知らなかった」
    ミドリ:「父親が違うんですけどね。異父兄妹なんです」
  スナフキンとミーは、アニメ『ムーミン』の登場人物。
      スナフキンは夏にムーミンの村を訪ねる「放浪の詩人」のような存在で、森のなかのキャンプ地でいつもギターを弾いている。
      ミーは口やかましい女性で、村の住民のひとり。すこしイヤミで、ひねくれ者で言葉かぎつい。だが、心根はさみしがり屋。
  そこに日本アニメ・オタクのトンミ・ヒルトネンがやって来た。そして、カフェを注文した。店の最初の客はトンミだった、彼は、顧客の第一番の名誉を充てられて、カフェはいつも無料というあつかいとなった。
      その後、彼は毎日のように店にやって来て、無料のカフェを飲んでいくようになった。
      さて、その日、トンミはミドリが持ってきたメニュウペイパーを見ると、自己紹介し、自分の名前を漢字で表記してほしいと頼んだ。ミドリは、トンミが差し出したスケッチブックに「豚身昼斗念」と表記した。意味を考えると無茶苦茶だが……ヒルトネン君はすごく気に入った。彼は日本のアニメやマンガを心から崇拝していて、漢字も呪物崇拝しているようだ。
    
      しばらくして、暇になったミドリはヘルシンキの観光名所めぐりに出かけた。
    
    ■「フィンランド人向けのおにぎり」開発・・・失敗■
      食堂のスタッフのひとり人となったミドリは、その夜、サチエに店に客を呼び込むための提案する。トンミのほかに客が来ないのを心配してのことだ。
      観光案内に店の記事を掲載してもらおう。そうすれば、ヘルシンキを訪れた日本人や近隣の市民が日本食を食べようと大勢やって来るだろうというのだ。
      だが、サチエは反対した。
      というのは、寿司とか和食ディナーみたいに定番化したイメイジで値も張る料理を食べにくる客を相手にするつもりはないからだ。
      おにぎりやサケの塩焼きランチ、豚肉の生姜焼き、とんかつ、鶏肉のから揚げなどという「普通の日本食」を自然体で受け入れてほしいという考えらしい。
      ヘルシンキ(フィンランド)でなら、まじめに続けていれば、そういう食事がごく普通に受け入れられるはずだと思っているのだ。
    
      翌日、ミドリは、自転車で出かけた市内観光の帰り道で、広場のマーケット――ヨーロッパの街によくある露店の集合――に寄り、フィンランド独自の食材を買い込んで店に戻った。トナカイの肉、塩漬けニシン、ザリガニである。
      ミドリは、これらの食材を入れた、フィンランド人にも受けるようなおにぎりを開発しようと提案した。
      サチエは試しにつくることにした。おりしも、トンミが訪れていたので、彼をフィンランド人の「被験者」とした。だが、実験は失敗だった。ところが、ミドリは「やってみたから、わかることもあるのだ」と実験を試みたことをを肯定した。