作品そのものにはどうでもいいことだが、「インフェルノ」が出たついでに、英語やヨーロッパ語を学ぶための「遊び」=「回り道」をひとくさり。この道草は、遠回りだが、覚えておいて言語学習に採用していけば、10年後には抜群の語学センスが身につくだろう。
inferno という語は、もともとはラテン語の形容詞・副詞 infra (〜の下の、〜の基底の、〜の下位に、〜に劣って)という言葉から由来する。その場合、だいたい人間の普通の地上での生活が「上下の位置関係」の基準になっているから、インフェルノは「われわれが暮らすこの世界の下にある世界」を意味する。転じて、地底界、地獄となった。
英語の inferior (劣る、下位の)という言葉もここから来ている。
また、 infrastructure (インフラストラクチャー:産業基盤・経済基盤・生活基盤)もまた、同じ意味文脈でつくられた言葉だ。「インフラ + ストラクチャー」で⇒基礎の構造、基底の仕組みということだ。
インフラの反対の意味の語は、 supra で、「〜に優越する、〜の上位の、〜の上に」というラテン語。 super (超越的)とか superior (すぐれた、上位の)は、ここから来ている。
だから、 supra (super) structure は、上部構造とか上層建築、上辺の仕組みを意味する。
こんな視座で、この映画の題名を見ると、 super-tower + inferno ということで、超高層(天界に近い)=地獄(地底の冥界)というパラドクシカルなネイミングの妙が浮かんでくる。
さて、映像の物語に入ろう。 映像は上空を飛ぶヘリコプターから始まる。地獄篇の幕開きが「天空」からとは、何とウィットに富むことか!
ヘリの乗っているのは、サンフランシスコ市でも最有力の都市開発・設計会社=ディヴェロッパー、ダンカン・エンジニアリングの設計部長のダグ・ロバーツ(ポール・ニュウマン)。彼は今、この巨大企業を辞めて、砂漠のロッジで暮らそうと考えている――都市開発をめぐって、つまりは利潤獲得をめぐって政治家や行政機関を巻き込んで駆け引きし、競争し合う建築業に嫌気がさして、独立しようと企図しているのだ。
ところで、映像でわかる限りで、ダンカン・エンジニアリングという企業の構造を分析してみよう。
この会社はいわゆる総合建設業( general constructuion )会社ではない。地方政府や投資家、大規模商業施設オウナーなどからの依頼を受けて、あるいはそれらに企画提案して、大規模な都市開発事業(ビル、ショッピングセンター、モールの建設計画・運営計画)を立案して、事業資金を調達し、運営管理する、いわばディヴェロッパー=金融コングロマリットだ。
その傘下には、いくつもの建設会社、資材会社、ビル運営管理・警備会社、金融部門などが控えている。ダンカン自体は、巨額の資産を保有する、少数精鋭の頭脳集団であるようだ。
彼はその準備のために砂漠地帯で休暇を過ごして、会社に戻るところだ。
その会社の中枢オフィスは、サンフランシスコ市の中心部(ダウンタウン)にそそり立つ「グラスタウワー」という超高層ビル中層区(65階)にある。この都市のなかでも、ひときわ高くそびえるキンキラキンのビルで、何と138階、およそ540メートルもある。
1970年代前半で、これだけ高いビルはなかった。設計不能だった。もちろん、物語はフィクションだ。
ロバーツは、この超超高層ビルの屋上のヘリポートに降り立った。出迎えたのは、社長のジェイムズ・ダンカン。彼の事業の事実上の「右腕」(参謀総長)だったロバーツを何とか会社に引き止めようと意図してか、あるいは、ロバーツの長期休暇中に建築してしまったこのグラスタウワーを自慢するためか、ダンカンは笑顔でロバーツを迎え入れて、会社の本部まで連れていった。
エレヴェイターで会社本部まで降りたところで、ダンカンは自分の執務室へ向かった。ロバーツはオフィスを抜けて自分の役員室に向かった。ところが、設計や施工監理、資材監理の実務全体を掌握しているロバーツがやっと会社に戻ったということで、多くの担当部門の責任者たちが、ロバーツの指揮や助言を受けに集まってきた。
要するに、どの部門でも信頼できる上司はまれで、結局、実務でのリーダーシップに関してはロバーツに頼り切りだという、この会社の脆弱な体質が、端無くもここで露呈する。