そんなこともあったからか、2人のイングランド人がフュノンガルウの標高を測量しに来たという噂が町中に広がった。この噂には、ウェイルズ人のイングリッシュマンへの反発が多分に含まれていた。噂の広め役は、巡査のトーマスだった。そして、その反発を増幅したのが、町の小学校の校長、デイヴィーズの話だった。
ジョウンズ牧師が小学校の校長室を訪れて、イングランド人の2人の将校がフュノンガルウの標高を測量しに来たという噂を語ったところ、「正確な標高を測定しに来たんだろうな。で、もし標高が1000フィートなかったら、フュノンガルウは『山』ではなくなり『丘』になってしまうだろうな」と言い切ったからだ。
この不吉な話は、狭い町じゅうにあっと言う間にに広がった。
その昔、イングランド王権に征服され蹂躙された歴史を忘れないウェイルズ人住民からすれば、イングランド王国の権力の中心をなす都市ロンドンからやって来るイングランド勢力に対して最初に対峙する「まほらば」防衛線こそ、ウェイルズの最南端に位置する「山」フュノンガルウなのだ。この山こそは、ウェイルズでイングランドに最初に向き合う砦ということだ。
そして、その昔、ウェイルズを軍事的に征服したイングランドがこの地方=州の統治のためにウェイルズの南端に建設した首府カーディフからやって来る権威に対しても、最初に立ち向かうのがフュノンガルウなのだ。
このことを町の人びとは誇りにしていた。ところが、その「最初の山」が「丘」に格下げになってしまうかもしれないのだ。
私たち日本人のほとんどは「国内の民族格差」について真剣に考えることもなく生活しているが、ヨーロッパ諸国家――通常は複数の民族を統合して単一の国民国家を形づくっている――の内部では、今でもかなり深刻な民族対立や格差、それゆえ支配される側の怨差(ルサンティマン)が渦巻いているのだ。
住民の不安をよそに、ガラードとアンスンはフュノンガルウの測量を始めた。評判の悪い測量補助の求人は、報酬が高い割には不人気だった。
そこで機材運びの仕事を買って出たのは、この辺では「阿呆のトーマス1号、2号」と呼ばれている双子の老人トーマス兄弟だった。彼らはものごとをほとんど真剣に考えない――いや考える能力がないらしい。
とにかく作業を始めたものの、フュノンガルウの頂上までの道のりは何マイルもある。低い山でも標高差はある。太ったガラードは、山の頂上にたどり着く前に息が上がってしまった。
ところが、金儲けのチャンスを探り当てる嗅覚が鋭いモーガンは、酒場で大々的に「フュノンガルウの標高を予測して当てるギャンブル」を催すことにした――ブリテン人は賭けが何より好きだと言われている。モーガンの目論見は大当たりになった。つまりは、この町の大半の男たちが、何がしかの小遣いをこの賭けに投ずることになった。
何ということだ、と怒るのは、これまた「牧師のジョウンズ」だった。
あの憎たらしい、神をも恐れぬ罰あたりのモーガンが、今度は神が禁じているギャンブルを組織した。しかも、この賭博は、住民の誇りである、あの神聖なフュノンガルウの高さをめぐるものではないか!。
人びとのアイデンティティや尊厳や誇りがかかっている深刻な問題だというのに、モーガンの奴ときたら、それを賭博稼ぎのネタにした。
牧師の嘆きをよそに、自分たちの誇りがかかっているだけに、男たちは熱を帯びた挑戦意欲をかき立て、大胆な予想をして賭けに金を投じることになった。
「2000フィートに40シリングだ!」
「いや、俺は2400フィートに賭ける!」
というような具合で、酒場は景気の良い熱気に満ちていた。
またたくまに、モーガンの酒場のカウンターにはコインや札(小額紙幣)の山が築かれた。
ところが、そこに校長のデイヴィーズがやって来た。そして、2人のイングランド人の測量結果は、せいぜい1000フィート前後となるだろうし、「山」か「丘」かの境界は1000フィートに達するかどうかで決まる、と説明した。
一瞬、唖然とした酒場の雰囲気。
そこで、デイヴィーズは「980フィート!」と賭け値を言い出した。
しかし、モーガンは、 「何だと?! …フュノンガルウが1000フィートに達しないだと。じゃあ「山」ではなく「丘」だというのか。
この裏切り者、おまえは(ウェイルズ民族の敵だ!
賭けは、1000フィート以上でないと受けつけない!」と突っぱねた。