山頂にいた人びとは迫りくる夕闇のなかで、ジョウンズ牧師を弔う儀式をおこなった。やがて人びとの手には松明が握られた。人びとは、松明を掲げながら、いまやジョウウンズの墓標となった山頂に盛られた土山の突起を取り囲んだ。
一通り葬儀が終わると、住民たちは行列をなしながら山を降りて、いまや宵闇の底に沈んだ町に戻り始めた。
群衆のなかでアンスンはベティと話し合っていた。
「明日の朝、あなたたちが北部に行ってしまうのなら、これまでの人びとの努力は無駄になってしまうんだわ」とベティが落胆の様子を見せた。
「いや、早朝になったら測量をやり直すよ」とアンスン。
「だったら、夜明けまであと数時間よ。それまで山頂にとどまりましょうよ。夜が明けたら、私が助手になるから、測量をやり直しましょう。どう?」
ベティ嬢の強気の説得に応じたアンスンは、夜明けまで山頂にとどまり、夜明けとともに測量をやり直すことに決めた。
2人が山頂に残ることに安堵して、ほかの人びとは全員山を降りていった。
山頂で夜明けまでいっしょに過ごした2人は、測量をやり直しただけでなく、婚約した。
フュノンガルウの標高は、1000フィートを2フィートほど上回っていた。これで、堂々とブリテン地理学会の地図に「山」として記載できることになった。
アンスンは測量結果(数値と算式)を所定の用紙に記録した。そして、アンスンとベティは腕を組んで山を降りていった。
集落まで来ると、子どもたちを含めた住民が2人の帰りを待ち構えていた。
アンスンは記録用紙を振りかざして、フュノンガルウは1000フィートを超えた。山として認められる」と告げた。それを聞いて喜んだ人びとは、2人を取り囲む行列をつくり上げた。そして、町のブラスバンドのメンバーが集まって演奏を始め、こうして祝賀パレイドが始まった。
集落の中心部の広場まで来ると、人びとはベティとアンスンを中心に参集し集会になった。そこでアンスンはふたたび測量記録を読み上げた。そして、ベティとの婚約を発表した。一気にお祝いムードは高まった。アンスンとベティは、人びとからの祝福を受ける立場になった。
■史実と映画撮影■
作品のエンディングに撮影をめぐる顛末が描かれている。
この出来事は、今から100年ほど前に実際に起きた事件だという。20世紀の終わりになって、この史実の物語を映画作品として描くことになったということだ。そのため、史実の事件の記念と発掘のために関係者の子孫が集まって来たという。
そして映画撮影にさいしてフュノンガルウの標高を再測量してみたところ、山頂は浸食や沈下で1000フィートに2フィート足りない状態だったという。
それを知った人びとは、麓から土を運び上げる活動を80年ぶりに組織した。
住民集団の列が山頂に土を運んでいる場面――作品本編中でエクストラクト・シーンとして使用されたようだ――で、この映画は終幕を迎える。
いやはや、まさに実証主義的な発想と行動のスタイルが現れているではないか。
やれやれ、何ともブリティッシュな映画ではないか。