軽い恋愛はするが相手との距離感がつかめず結婚しない30代後半の男。さしたる友人もいない。煩わしい人間関係の深みにはまりたくないようだ。一見軽薄な男。ところが彼には人を引きつける穏やかさや柔軟さ、礼儀正しさがある。
そんな男に近づこうとする少年が現れた。彼の母親はシングルマザーで、心を少し病んでいて自殺願望がある。面倒な母親だが、少年にとってはかけがえのない肉親だ。難しい家庭環境を抱えている少年は、軽やかな穏やかさを持つ男に親近感を抱いた。
独身男は近寄ろうとする少年を煩わしいと思う反面、関心が強まっていき、自分の心の空虚さを埋めてくれる何かを感じ始める。
核家族化や「人びとの原子化」が進んだ現代社会でも、人びとは生きるために自分の周りに濃淡の差はあれ、家族や友人、職場の仲間など、あれこれ人間関係を取り結ばなければならない。その人間関係には「ありがたさ」とともに「煩わしさ」がある。「煩わしさ」をも引き受けなければ、信頼感や友情、恋愛などの「ありがたさ」も得られない。
旧来の家庭や家族の仕組みが成り立ちにくくなった現代の大都市ロンドンのなかで、孤独や親子関係に悩む人びとは古いタイプの家族や家庭に代わる人間関係を結ぶための試行錯誤を始めているのかもしれない。
映画『アバウト・ア・ボーイ』(2002年)はそんな状況の一断面を描こうとしている。
原題は About a Boy で、その意味は「ある少年をめぐって」ということだが、さらに一歩踏み込んで意訳すると「気になる少年」「ガキというやつときたら…」という含意になる。
原作は Nick Hornby, About a Boy, 1998, London ニック・ホーンビイ著『アバウト・ア・ボーイ』1998年刊(ロンドン)。基本的な状況と人物の設定は映画と同じだが、もう少し複雑で深い物語になっている。
一風変わった個性的な趣味や生き方をそれぞれに守りながら、ご近所づきあいや友情を取り結ぶ……といえば、典型的なのがブリテンだろう――そういう先入観を私は抱いている。まあ、フランスなどの西ヨーロッパ諸国ではいったいにそうかもしれないが。
さて、親が残した遺産があって職業に就く必要もなく気楽に自由に独り身の生活を楽しむウィル・フリーマン――「気ままな男」という人物名がいい!。
他人とは気ままに浅く付き合い、だれにも責任を負わない、負担もかけない。ウィルの人付き合いの要諦は、深く付き合う前に別れること。
そんなウィルは、「後腐れのない」ナンパが目的で、偽装してシングルペアレント――メンバーのほとんどが離婚した女性――の会に入り込んだ。そこで気に入った女性とデイトをすることになった。
だが、当日、彼女は同じくシングルマザーの友人、フィオーナの息子のマーカスを連れてきた。
マーカスは、ときどき情緒不安定になり自殺衝動を起こす母親のために新たな伴侶を探していたのだ。というよりも、彼自身、かけがえのない母親の面倒さを分かち合う人物を求めていたのかもしれない。彼はウィルに目をつけた。
で、ウィルの住居に押しかけるうちに、ウィルと奇妙な友情を築くことになる。
あまりに繊細でユニークなマーカスに、ウィルには自分の性格を重ねることになった。マーカスの悩み(とくに母親の自殺衝動)に向き合ううちに、ウィルは結婚以外の形で大勢の「人生の伴侶(
companion :人生をともに歩む親密な仲間)を見つけて彼らとの絆を培うことになった。
一方で真正面から個性をぶつけ合いながら、他方で巧みにその摩擦や衝撃をかわし合いながら、押しつけがましくない友愛や支え合い関係を築く。まさにブリティッシュな生き方を描いた傑作。
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