1830年代の終わり頃、アフリカで平和に暮らしていた人びとが、奴隷狩りを商売とする部族によって捕えられ、奴隷として何度かの転売ののち、北アメリカに向けてカリブ海を渡るエスパーニャ王国籍のスクーナーに乗せられた。だが、船倉に閉じ込められていたアフリカ人たちは、自由を求めて反乱を起こして船員を殺し、船を占拠した。
ところが、まもなく進路も食糧も失って漂流することになったこの船をアメリカ海軍のフリゲイト艦が捕獲した。そこから、アメリカの法廷を舞台に、奴隷(商品としての)所有権の帰属やら、奴隷制の存廃、奴隷の自由=解放の是非、反乱の正当性などをめぐる国際的な裁判が繰り広げられることになった。
奴隷廃止運動家のルイスとジョウドスンは、ロジャーを弁護士に選任し、法廷でアフリカ人たちの反乱の正当性を立証しようと奮闘する。その過程で、センベたちの言葉を話せる「通訳」を見つけ出した。その黒人は、ブリテン海軍によって奴隷身分から保護解放されたアフリカ人で、今はブリテン艦隊の水兵である。
彼を介してセンベたちとのコミュニケイションが始まった。そこから、アミスタードのアフリカ人たちの恐るべき体験=苦悩が明らかにされた。富と権力をめぐる策謀渦巻く世界で、アメリカの法廷は、彼らの尊厳を認め回復させることができるのだろうか。
裁判ではロジャーの血のにじむような努力と巧みな法廷戦術で、黒人たちがアフリカ大陸からカリブ海に運ばれてきて、奴隷市場に売りさばかれようとしている状態にあることが判明し、アフリカ人側が有利になった。
ところが、合衆国はブリテンからの独立闘争には勝利したものの、いまだ反乱派諸州の同盟でしかなく統一的な国家をなしてはいなかった。そして奴隷制度の存否はこの同盟を分裂させかねない問題だった。連邦政府は奴隷制度の違法性を指摘する判決を避けようと画策した。そのため、アフリカ人たちの正当性を認そうな地区裁判所から訴訟管轄権を連邦に奪い取ってしまった。
こうして大統領府の圧力を受けて、訴訟はアフリカ人たちの法的地位をめぐる事件から奴隷制度の是非をめぐる政治的闘争に変貌した。というよりも、事件の本体がむき出しなり、アメリカ合衆国の連邦レジームのあり方をめぐる憲法問題となった。
アフリカ人の反乱についての連邦最高裁の審理のなかで、弁護士役を引き受けたクインシーは渾身の論陣を張った。「アメリカ独立宣言と建国の父祖たちの精神という原点に立ち戻って判断を下せ」と。こうして、アミスタードのアフリカ人の無罪を勝ち取った。だが、彼らの苦難はまだ終わらなかった。そして、アメリカ合衆国は、クインシーが予告したように、南北戦争への道を進むことになった。