物語はまだ続く。
センベはクインシーと固く握手した。そして、ロジャーと固い抱擁を交わして、センベ自身の宝物=護身符であるライオンの牙(村を救うために殺したライオンの口から抜き取ったもの)を渡した。
一方、自己保身のために事件を弄んだヴァン・ビューレンは選挙で落選した。一方、ヨーロッパに経済的に従属する南部諸州は孤立して、絶望的な抵抗=内戦を引き起こして自滅していく。あるいは、南部を完全に政治的・経済的に支配しようとする北部が、南部を勝ち目のない戦争に駆り立てたのかもしれない。
それでも、南部は連邦を構成する諸州としての政治的地位を保ち続けて合衆国レジームに統合されたのだから、むしろ好運だったと言うべきだろう。独立した政治体となることはできようはずもなかった。
さて、センベたちは大西洋航路で西アフリカに帰還するための船に乗った。通訳を務めたコウヴィ=ニャグアもアフリカ人ともに船に乗った。彼はブリテン海軍の制服を脱いで、もとの部族の衣装に着換えていた。
だが、センベたちがアフリカの地を踏みしめてメンディ族の村に帰ってみると、村は破壊され消えていた。あの奴隷狩りを生業にしている好戦的な部族に襲われ、奴隷化するために拉致されたか殺されたか…。
西アフリカ海岸の奴隷貿易の拠点、ロンボコ要塞はブリテン艦隊の砲撃によって全面的に破壊された。
アミスタードのアフリカ人は裁判で無罪を勝ち取った。だが、この映画は「ハッピーエンド」で終わらない。私たちに、歴史の重み、世界経済の仕組みの無慈悲さを告げている。
アメリカ合衆国に限ってみても、アフロ系黒人の市民権が広く「社会的」に認められるのは、1960年代の公民権闘争を経たのち、さらに20年後である(そして、有色人種の差別は、いまだに根強く残っている)。
そして、アフリカ大陸の諸地域では、1970年代以降になっても部族間、民族間、国家間の血みどろの争いが続発し、飢餓と貧困、暴力の横行がおさまる気配がない。これに環境破壊と生態系破壊の惨禍も重畳されている。
ヨーロッパ諸国民のあいだの商業的・軍事的闘争をつうじてアフリカ大陸を従属地域として「世界経済」に引き入れてからというもの、アフリカの悲運は深まり続け、植民地解放・独立運動の時代を経ても、なかなか解決しないということだ。
この映画は、19世紀半ばのこの事件ののちの歴史を見据えて、私たちに考えるべき課題を突きつけて終わる。これほどの余韻――問題提起――を残す映像物語は、あまりない。