だが、ユーリイとセルダムとの因縁は終わらない。
物語では、「ボーマーの最終定理」の証明がケンブリッジ大学の研究グループによって達成されたということになっているが、実際の数学の世界では「フェルマーの最終定理」の検証についての話題だと思う。
フェルマーの最終定理の証明について
1993年6月、ケンブリッジ大学のアンドリュウ・ワイルズが学内で「フェルマーの最終定理」の論証に関する研究発表をおこなった。この問題は、世界の数学者を350年以上のあいだ呪縛し続けた難問だった。多くの有能な数学者がこの命題の証明に挑戦しては挫折してきた。
だが、挫折が生じるたびに数学の新たな研究分野が開発されたという。
フェルマーは17世紀半ばにフランス王権の地方訴願審査会の委員を務めた人物だが、法務官の仕事の傍らで数学を趣味としていた。その彼がある数学者の著書の余白に書き込んだ記述が「最終定理」と呼ばれる論題だ。その論題とは、
xn + yn = zn n は3以上の整数 について 「この等式を満たす自然数の解は1つもない」
というもので、フェルマー自身は「私は証明を得たが、余白がないので書かない」と言い残したまま、この世を去った。
さて、アンドリュウはケンブリッジでの発表を悠々と終え、世界の数学界は彼の快挙を讃えたのだが、その後しばらくして、その証明に欠陥が見つかった。そののち、アンドリュウは1年半かけて、艱難辛苦の末、証明の欠陥をカヴァーして証明を完成させた。
数論に関する証明だということだが、そのためには、複素数論やら集合論・関数論やら代数学・微積分学、幾何学・代数幾何学やら……数学のあらゆる分野の方法論が横断的に動員され統合されているとか。
私としては n = 2 の場合についてだけは、ピュタゴラスが解明した「三平方の定理」ということで解の集合が存在することを理解できるが、指数 n が3以上となると理解不能な世界になる――解があろうがなかろうが。
とにかく「最終定理」の証明でケンブリッジ大学グループによって大きな達成がなされたことは、世界の数学界の大ニュウズで、その研究報告会にオクスフォードからもセルダムをはじめとして多数の研究者が参加することになった。
彼らが採用した論証方法は、高次方程式の解の集合を、楕円関数のモデュラー集合の視座によって解析する方法だったが、これは、以前にユーリイが思いついた方法だったという。ユーリイはセルダムに論文を提出して、ケンブリッジのグループに参加できるよう推薦してくれと頼んだが、断られた。
今回、ケンブリッジのグループが論証したのは、ユーリイが考えたのと同じ方法によるものだったというわけだ。ユーリイとしては、共同研究に参加して輝かしい成果を出す機会をセルダムによって奪われたと恨みたくなるのだろう。
さて、セルダムの学寮からもマイクロバスを仕立てて大勢が出かけた。マーティンも加わっていたが、出発直前に彼はエスパーニャ出身の看護婦、ローナを見かけてバスを降りてしまった。ローナとマーティンは恋人どうしで、最近ぎくしゃくしていた仲を修復するためだった。
だが、マーティンは依然として「連続殺人事件」の謎解きに呪縛されていて、ローナとともに謎解きを続けた。そして、次の殺人が起きるはずだという結論に達した。
オクスフォードに戻って来るバスの乗客が殺されるというのだ。マーティンはその推測を警察に告げた。
ところが警察は、それをセルダムが乗ったバスを殺人者が襲撃するという計画と決めつけてしまった。しかし、マーティンが予見したのは、精神障害児の集団を乗せたバスで殺人が起きるということだった。
だから、警察はオクスフォードに西から向かう道路に検問態勢を敷いて、セルダムのバスを無事に保護したものの、その日、心身障害児の送迎バスの運行があることを見逃してしまった。
そのバスはフランクによって乗っ取られた。フランクは、娘のための臓器ドナーを確保するために、事故を装って障害児たちを殺すつもりだったのだ。自分はバスの窓から逃げ出す計画だった。しかしフランクは運転を誤り、バスは道路を飛び出して樹木に衝突し自らも死亡してしまった。
衝撃でバスは炎上して、5人もの子どもが死亡した。
これは、本当の殺人事件だった。
結局、警察は、フランクが娘のためにドナーとすべく障害児を殺害する計画を立て、その動機や意図を隠し撹乱するために、ジュリアや老人2人を殺害したものと判断した。だが、第一容疑者は事故死したために、逮捕できなかった。