ブリテン連合王国の支配階級にとって王室は彼らの権威や権力のシンボルとなっている。それゆえ、一般庶民に対して王室の権威が失墜するような事件は未然に防がなければならない。もし起きてしまったら、事実を徹底的に隠蔽糊塗することが国家にとって危急の課題となる。
そのために、王国の秩序維持や諜報を任務とする国家装置は、暗殺などの犯罪行為を含めて、情報の漏えいを阻止するためにあらゆる手立てを講じることになる。
この映画『バンク・ジョブ』(2008年)が描く物語は、1971年に実際に起きた事件をもとにしている。
映画の物語は、秘密情報部MI5が王室のスキャンダル暴露を阻止するため、多額の報酬を餌に強盗団を操って、スキャンダルの証拠が保管されている銀行の貸金庫を襲撃させた事件の顛末を描いている。それは、1971年の事件の背後にあったのではないかと疑われる国家の陰謀をフィクションとして描き出している。
そういう陰謀を示す証拠は何もないということだが、事件直後に裏社会に流された情報をもとに、いかにもMI5ならやりそうだという憶測がメディアで報道されたこともあるようだ。
ブリテンでは、フランスでのダイアナ妃の自動車事故死死についても国家の諜報組織が仕組んだ暗殺事件ではないかという憶測が、信憑性のある情報として当時流布された。そのくらい、王室のスキャンダルと国家の秘密情報部の絡み合いは、昔から隠微な問題なのだという。
原題は The Bank Job 。普通に邦訳すれば「銀行の仕事」ということになるが、この場合のジョブとは、泥棒たちの用語で「盗みの仕事」という意味らしいから「銀行襲撃のヤマ」「銀行強盗」ということになる。
それにしても今から45年前に起きてすぐに迷宮入りとなった銀行襲撃事件……貸金庫のなかにはいったい何が収められていたのだろうか。
見どころ
この作品は1971年にロンドンの中心部ベイカー街で起きたロイズ銀行(貸金庫)強盗事件の事実にもとづいている。ただし、物語にはいっさい物的証拠はなく、すべてが推測や憶測によって描かれている。
この事件は、じつに奇妙な事件だった。
地下貸金庫が強奪の被害にあったが、銀行は被害の全貌については公表しなかったばかりか、具体的な被害届けが出されなかったようだ。そして、貸金庫に貴重な財産・資産を預けていた被害者たちも、ほとんどが被害届けや告訴・告発をおこなわなかった。
そのうえ、強奪犯たちは警察によっていったんは身柄確保されたにもかかわらず、訴追や刑罰を受けた痕跡がまるでないという。
状況証拠や伝聞証拠などで、被害の総額は少なくとも400万ポンド――当時の相場で12億円くらいか。現代の価値でその10倍ほどになるかも――だと見積もられた。巨額の被害の割には、警察の捜査はいつのまにか立ち消えになったという。
巨額の財貨と容疑者たちは、どこに消えたのか。
事件直後大騒ぎしたメディアの報道もたちまち消え去っていった。
いったい、何が起きたのか。
メディアの報道が、政府当局の要求で抑え込まれたらしい。とすれば、事件は「DAノウティス: Defance Adversary
Notice 」絡みに違いない――と当時憶測された。
DAノウティスとは、今日ではDノウティスと呼ばれる事案で、それは国家の安全保障や国益の棄損、防衛機密に直結する事件に関して取材や報道を制限ないし禁圧するという協定(政府とメディアとのあいだの暗黙の不文律)のことである。
ジャーナリストや物好きたちの調査や推理を手がかりに、いかにもありそうな事件の実相( the would-be truth
)を描いたのが、この作品。誰にとっても皮肉な結末は、ブリティッシュ好み。
事件の場所はベイカー街、襲われたのはロイズ銀行。そこにMIの陰謀、そして王室絡みのスキャンダルを絡める。というわけで、まるでミステリー・ファンのために取ってつけたような材料だらけではないか。
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