それはともかく、ブリテンとアメリカの海洋権力の世界的規模での展開がそういうものであるということは、海洋権力すなわり海軍=艦隊展開が世界的規模での情報通信ネットワークの建設とメインテナンス――情報インフラの技術革新とその廃棄更新――を担当し誘導・防護するためのものである。これには、空母と艦載機のテクノロジーや原子力潜水艦の配備、ミサイルシステム=航空宇宙軍事産業などが結びついている。
ともあれ、1972〜73年の時期に、アメリカの政府と軍は、ヘゲモニーを支える装置のなかでも最重要なものが左翼政権の統治下に入り、まして場合によってはソ連の影響下に置かれるかもしれないという危機感と焦燥に突き動かされたのではなかろうか。
さて、上記のようなものとして、現代のパクス・アメリカーナの権力装置を見るとき、中国が世界のヘゲモニーを握る時代が、少なくとも今後の2世紀間のあいだにやって来るとは、とても思えない。
地球的規模での情報通信ネットワークを自前で中国が組織化する――これには独特の海軍展開力が付随する――能力を、中国がわがものとするのは、果てしなく遠い未来ではないかと思う。しかも、政治と経済取引のプロトコル言語を英語から中国語に転換するのは、ほぼ不可能だろう。
そうなるはるか前に中国の隆盛の時期は過ぎ去るであろう。
世界システム論の碩学イマニエル・ウォラーステインは、かつて世界経済ヘゲモニーのアメリカから中国への移行を予測した。だが彼は実在的ヘゲモニーの構造を具体的に検証することはないから、世界覇権の将来については、今のところ、じつに混乱した視座しか提示していない。
まして、英語で組織された世界的な通信プロトコルにおける言語の障壁とか、中国が外部世界からの情報受信に対して閉鎖的な防壁を必死になって築いていることなどを考慮すると、今のところ、中国の世界覇権の話は、まったくの的外れとしか言いようがない。
もとより、コストとリスクが途方もなく巨大化した現代世界のヘゲモニーを単一国民(国家)が担いうる時代も過ぎ去りつつあるのだが。
つまり、アメリカはかつて自ら組織化した世界権力装置を維持するための負担にもはや耐え切れなくなっている。権力装置はあまりにも巨大化したため、もはや単独の国家が掌握しそのコストとリスクをまかなうことはおよそ不可能になっているのだ。
たとえば、その国際的な金融財政装置としてのIMFや世界銀行は先進諸国家の国際的公共財――国連機関となり――として、財政的な運営は諸国家の負担でまかなっている――アメリカの影響力は相対的に見て大きいとはいえるが。
新たな合衆国大統領となったトゥランプの言い分を見ると、ヘゲモニーを維持するための「代償の重みにはもう耐えられない! いやだ!」と駄々をこねているように見える――つまりヘゲモニーの果実をコストを払うことなく手に入れたい!、という身勝手な願望。しかし、代償を負担するのは嫌だが、その成果だけは受け取りたいという無茶な願望も見える。
世界覇権を担う国家は、「自由貿易」の旗を掲げ、大幅な貿易赤字という代償=自己犠牲を払いながら世界貿易や世界金融を組織化する中心としての機能を担わなければならない。自国中心の世界貿易と国際金融を組織するために。しかし、それは過去に積み上げてきた富を消尽し、国内の産業空洞化を招くことになる。
覇権国家のそのような末期症状はすでにブリテンが過去200年間に示してきたとおりだ。アメリカは、そうなるのは嫌だ、と言い張っているのだ。
「メクシコとの国境に防壁を築く」ということは、過去70年間、自ら主張し他国に押し付けてきたてきたスローガンを投げ捨てるということだ。客観的には、それはアメリカは「過去数十年間、誤った世界政策を訴えてきた」と告白するということでもある。
トゥランプの登壇は、アメリカのヘゲモニーの喪失を加速して、さらに悲惨な没落の道を呼び寄せるのか、それとも我がままを押し通して勢力を盛り返すのか――この場合には覇権を裏打ちする威信や権威をすっかり失う結果を帰結する。
このあたりについては、1920年代のブリテンが覇権国家の座から転落したときとは、かなり質的に異なる行動スタイルを取っている。当時ブリテンは、いまだに貴族エリートが政治と経済のあらゆる決定権を牛耳ることができたレジームにあった。今日のアメリカの民主主義とは異なっていた。政治参加の権利や経済的特権を貴族を中心とするえりーちに独占佐是、政策決定過程から一般民衆の声をほとんど完全に排除できたのだ。
大衆民主主義の制度の上に成り立つ――それゆえまたデマゴギーが可能な――大統領共和制の統治構造では、「大衆迎合的な選挙戦術で勝ち上がった」首脳が連邦統治を担うこともありうるようだ。ただし、そういう政権が持続しうるのかどうかはまったく不明だ。
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