話を少し前に戻す。
捜査陣は3人の遺体を検死解剖に回した。3人の被害者の死因や殺害方法など(身体の傷害・損壊の状態)を解明するためだ。
モスクワ人民警察の主任検死解剖医のレヴィンは、解剖に立ち会うようアルカーディを呼び出した。だが、アルカーディは凄惨な遺体、ましてその解剖を見るのは嫌いだった。だから、レヴィンにはいつもからかわれている。一方、レヴィンは食事をしながら死体を解剖しても平気なくらいに、検死解剖には慣れていた。
立ち会ったアルカーディは、検死解剖台から顔を窓側に背けながらレヴィンの説明を聞いた。雪のなかから掘り出された遺体は、そのまま冷凍室に保管されていたから、カチンカチンに凍結していた。
「これは、解剖しやすいや!」というのが、解剖用の小型回転鋸を手にしたレヴィンの挨拶だった。
レヴィンの解剖所見では、
@3人とも胸部に銃弾を受けていて、これが死をもたらしたこと
A3人ともに、死の直後に顔面の肉と皮膚、指先の肉と皮膚を剥ぎ取られていること
B3人のうち男性2人は、死の直後に口(口蓋と顎)を銃弾で吹き飛ばされていること
が解明された。
殺害直後に顔面を削ぎ取られ、なおかつ指先を取り去られていることは、被害者が誰であるかを特定するために不可欠な顔貌と指紋を奪い取ろうとしたことを物語っている。さらに、男性2人の口蓋と顎が吹き飛ばされていることは、歯の治療記録から人物を特定する材料さえも失わせようとする意図があったことを意味している。
とくに歯の治療方法の証拠を吹き飛ばしたのは、ソ連ではきわめて珍しい治療法であるとか、西側先進国の歯科治療法が用いられている可能性が高いということらしいことがわかった。
それでも、砕け散りながらもわずかに残った破片から、歯の治療材料はソ連では用いられないもので、アメリカで最近開発された治療法によるものであることが判明した。そして、治療法は、ソ連に入国したあるアメリカ人の治療記録に残されていた。
それが、ジェイムズ・カーウィルで、モスクワ大学のロシア語学科に留学している学生だった。すこぶる優秀な学生だった。