一方で、デヴァレラを監獄から救出する作戦が展開された。
ブリテン当局側は、デヴァレラをアイアランドから移送してイングランドの刑務所に送り込んだ。これで独立派から完全に隔離・遮断することができるはずだった。
ということは、共和派としてはデヴァレラを奪還するためには、イングランドで脱獄の手配をしなければならない。きわめてめて困難だ。当局の狙いもそこにある。
さて、刑務所ではデヴァレラは「模範囚人」となっていた。そして、刑務所付属のカトリック教会司祭の助手をするまでになった。司祭が「あなたは本当に温和な方だ。改心して、平和な生き方を選択するように望みます」というくらいだ。
だが、根っからの革命政治家であるデヴァレラが本心から、あるいは酔狂で牧師の助手を務めるはずがない。それは、脱走計画の段取りだった。
彼は、刑務所内の礼拝所に備える大きなロウソクをこっそり持ち去った。そのロウソクを温めて溶かし、司祭が出入りする刑務所の裏門の鍵穴に差し込んで、鍵型を取った。そして、刑務所内の製造業の懲役房で鋳型にして、ひとまず合鍵をつくった――これは念のためだった。
鍵型を取ったロウソクは、外部に持ち出させてマイケルの指揮下で合鍵をつくらせ、同時に脱走・逃亡の段取り手配を進めさせた。
ある真夜中、マイケル一行が車で刑務所の裏口――デヴァレラが模範囚となっていて脱走の危険性が低いので、警備が手薄になっていた――に乗りつけた。そして、合鍵で裏門扉を開けようとしたが、鋳型の金属が安物だったせいか、鍵は穴のなかで折れてしまった。だが、デヴァレラ自身が用意したい鍵で扉を開けて、脱走を成功させた。
デヴァレラを車に乗せると女装させて、まんまと逃げおおせた。
ところが、ダブリンの隠れ家に戻ったデヴァレラは、マイケルの期待とは裏腹の計画を打ち明けた。アイアランドを脱出して――これには、脱走の「ほとぼり冷さまし」の意味合いが濃厚――アメリカ合衆国に渡り、アイアランド系コミュニティの影響力が強い東部沿岸の諸地方を遊説して回り、支持基盤を拡大して、大統領とも会見して「アイアランド共和国独立」を承認させよう、というのだ。
しかも、デヴァレラは、マイケルのブレイン役のハリーまでアメリカに連れていくと主張した。そこには、自分の投獄中に闘争を果敢に指揮して、独立派での評価と地位を高めたマイケルからハリーを引き離して、将来、自分の影響力拡大の手駒に使いたいという、デヴァレラの目論見が含まれていたようだ。
マイケルからすれば、名目と形式ばかりを追求する方針にすぎなかった。それよりも、今は、ここに踏みとどまって、闘争態勢を再構築するために、アイアランド民族の象徴として活動してほしかったのだ。というわけで仕方なく、マイケルはデヴァレラをアメリカに送り込む密航の手配をおこなった。
こうして、マイケルは、闘争の最も困難な局面にあって、たった1人で政治的・軍事的指導を担い続けることになった。
おりしも、デヴァレラたちがアメリカに渡って「アイアランド独立承認」キャンペインを繰り広げた時期(1919年)は、アイアランドではSISの指揮による独立派=共和派への弾圧が過酷さの頂点を極めていた。そのときデヴァレラは、むしろ危険な状況下から逃れて、アメリカで支持派の歓迎を受けながら遊説して回っていた。
◆革命組織のなかの人物像◆
この作品では、デヴァレラは「見栄っ張りの小心者」として描かれている。見栄っ張りというのは、「国際的世論」に訴えるイメイジを重視するからだ。実像かどうかはわからない。むしろ、マイケルの人物像を際立たせるための脚色かもしれない。
だが、革命運動のなかには、本来の目標よりも、運動のなかでの地位栄達や立身を求めて運動に身を投ずる手合いがいることは確かだ。そうなると、運動組織は自己目的となって、運動組織の本来の目的が何だったのかは後回しになり、運動組織の内部での権力闘争、影響力争いが前面に出る。これは、これまでの多くの革命運動に随伴する「宿命」だった。
革命集団の人間だけが、その社会の醜さや俗悪から逃れた「立派な人間集団」であるはずがない。彼らもまた社会のあらゆる要素を抱え込んだ「社会的人間」でしかない。
この物語に即して言えば、独立の目的は、アイアランド(カトリック派)民衆の平穏と尊厳が認められるレジームの構築だった。だが、闘争はエスカレイトして、暴力と憎悪の連鎖、自己増殖につながった。
この状況を誰よりも憂えているのがマイケル・コリンズだった、とこの物語は語る。
デヴァレラのアメリカ渡航と遊説の実際の狙いは資金集めではなかったかと推察される。というのは、アイアランドは疲弊していたが、アメリカ経済は第1次世界戦争後の空前の好景気にあったからだ。