ブリテン連合王国は、その昔、ヨーロッパの辺境植民地のような地位にあったが、18世紀まで世界経済の覇権を握る国家にまで登りつめた。ところが、栄光の地位も1世紀前に失われ、金融センターとしての強大な力は残しながらも、再び辺境化への道を歩みつつあるように見える。
イングランドが――およそ5世紀におよぶ期間をつうじて――辺境の地位を克服して富と権力を獲得していくうえで、過酷な支配と収奪・搾取の対象となったのがアイアランドだった。そのため、アイアランドとイングランドとは互いに敵意や憎悪を増幅させた、長い武力闘争の時期があった。
敵対と闘争の時代は、今からわずか30年ほど前まで続いていたのだ。この敵対関係には冷戦構造が絡みつき、泥沼の様相を呈していた。そして、敵対の構造が多くの人びとの人生を呪縛していたのだ。
今、イスラム過激派やISISのテロとの対峙を迫られているヨーロッパは、その頃には、ヨーロッパ内部でのテロ紛争で震撼していたのだ。
長編テレヴィドラマ『黒の狙撃者』(1989年)は、そういう時代の物語だ。
ドラマの原題は Confessional 。コンフェッションには「告白」「告悔」とかの意味があるが、コンフェッショナルには「司祭、聴悔師:教会で信者の告悔を聴き取り、神の許しを祈る者」という意味がある。
この物語では、KGBに操られていたが、途中でKGBと敵対することになった狙撃者――実際に司祭の資格をもつ――がアイアランド教会の司祭に扮装して暗殺の任務を遂行しようとする。邦題の「黒の狙撃者」とは、「黒衣(僧衣)をまとった狙撃者」を暗喩するものだろう。
原作は Jack Higgins, Confessional, 1985 。ジャック・ヒギンズはブリテンの政治・軍事スリラー、スパイ活劇もので多くの業績を残した小説家。
現代ブリテンの政治史や軍事史を学ぶうえでは、フィクションをつうじてだが史実を物語の舞台の背景として設定していて、貴重な材料を提供してくれる作家だ。
見どころ
1989年、ブリテンのテレヴィドラマとして放映された。アイアランド紛争問題を背景に、ソ連がアイアランドに送り込んだ暗殺者の孤独と悲劇を描いた物語。
ブリテンの知識人は実証的な歴史観をもっているので、自国の歴史を冷めた目で突き放して描き出す。
それゆえ、自国の「負の歴史」を描きがちに見える。
だが、権力闘争をめぐる「公式の歴史」は権力闘争に勝利した側が自らを正統化するために脚色した、偏った一面的な歴史像でしかない。それを補正するのが、歴史的状況を背景とするフィクションに描かれる歴史観なのだ。
「今は昔」となった冷戦時代の社会状況を、ヨーロッパの片隅で起きた暗闘の物語をつうじて学ぶ格好の材料となるだろう。
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