死にゆく者への祈り 目次
追いつめられた暗殺者 U
原題と原作、そして作者
見どころ
あらすじ
戦列からの離脱
ロンドンのマーティン
  アイリッシュ社会
八方ふさがりのマーティン
居合わせた神父
暗殺者の告悔
渦巻く敵意
孤高の精神
ミーアンの焦り
マリガンとの再会
惨劇の始まり
死にゆく者への祈り
2つの物語の対照
作品に見られる国民性
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異端の挑戦
炎のランナー
アイアランド紛争関連の物語
黒の狙撃者

作品に見られる国民性ナショナリティ

  私の世界経験の範囲内でだが、文学や映画、学術などの作品に見られるブリテンの知的エリートのスタイルというか物腰、眼差しを読み取るとき、さすがは、17世紀末葉から19世紀末葉まで、200年以上にわたってパクスブリタニカのレジームで世界の頂点に君臨した――けれどのそののち長期の衰退・没落過程にある――国民ネイションだ、と感じることが多い。

  世界の覇権を握る立場に居座る経験をもつ限り、その権力のもとにねじ伏せられ、従属させられた諸地域や諸民族からは、非難や怨嗟を浴びることは避けられない。世界覇権を失ってからも20世紀後半まで、アジア、ラテンアメリカ、アフリカの諸地域はブリテン帝国から独立していく過程のなかで、ブリテンはいったいどれほどの――侵略や植民地支配、暴力と収奪などに対する――批判を受け続けてきたことだろう。
  世界の頂点に君臨するというステイタスとは、煎じつめるとそういうことなのだ。最優位の栄光と富、そして権力を手にするのは、批判と怨嗟の矢を全身に浴びるということなのだ。
  まさに、かつては「世界の帝王」であったがゆえに、歴史観としては、相手側からの批判と非難を平然と受け入れているかに見える。反論すべきことがあまりに多すぎて、対処しかねているのかもしれないが。

  総じて(ことにエリートは)、世界の頂点=玉座からの転落、没落の経験=歴史をも平然と認めている国民ネイションである。それは、やはりかつて世界の頂点に君臨した経験をもつイタリアやネーデルラントにしても、同様なのだが。
  なにしろ、オクスブリッジをはじめとする知的エリート=学術の世界では、19世紀前半からの「ブリテン衰退史」、つまり自国の没落の歴史が熱心に研究され、膨大な数と量の研究論文が発表されているくらいの社会なのだ。この論争は、もちろん世界のあらゆる国や人びとに開放されている。


  自分たちの傲岸不遜な権力行使や醜悪な支配を、そしてそれを喪失してきた課程を客観的な歴史的現実として、突き放して受け入れることは、少しも自国民の尊厳や威信を傷つけることにはつながらないという冷めた眼差しがあるのだ。そんなことは、屈辱ではないのだ、と。何しろ「愛国心は卑劣漢の最後の逃げ場」という格言が生まれた国なのだ。
  それは、感情的、観念的な立場の選択の問題ではない。客観的な認識や分析の対象なのである、と泰然自若としているのだ。じつに「大人の」「成熟した」「達観した」立場である。

  自分たちの正義の尺度を厚かましく押し付けてきたアメリカとは大違いではある。もっともヴェトナム戦争での手痛い敗北後、アメリカの学術思想の世界では、覇権国家の交替や没落の必然性を唱える世界システム理論の碩学、イマニエル・ウォーラーステインを輩出したことも事実なのだが、そういう立場がごくごく狭い範囲に限られているのがアメリカの特徴かも。
  自らの過去の醜悪な姿を冷静に見つめられるようになるのは、すかkり没落したから後のことなのかもしれないが。

  とはいえ、現実の世界政治を担うブリテン政府としては、レイガン政権と密接に協力したサッチャー政権がひどかったが、そのアメリカの強引な政策を「お先棒担ぎ」のように露骨に公然と支持してきたのも事実だ。
  そして、ブレア政権もブッシュのイラク戦争やアフガン戦争を支持して参戦した。過去の歴史についての批判は甘んじて受けるどころか、自ら批判の戦列に加わるインテリ層が控えていながら、現実の世界政治では自国の権益を守る「過剰なほどのリアリスト」の政権が存在する不思議な国民だ。

  具体的経験の分析の累積の上に価値観や理念を打ち立てる経験主義的で実証主義的な方法論は、中世晩期以来、ブリテンに発達した科学や思想のもっとも主要な特徴だ。この方法を自分たちの歴史にも遠慮なく向けているのが好ましい。自分が属する国民国家の過去の歴史を突き放して批判的に見る態度は、自分の祖国やその文化への愛着と両立しうるのだ。
  ジャック・ヒギンズの作品には、そういうブリティッシュな匂いがする。

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