さてある日、ヘルシンキ港の埠頭でのこと。中年の日本人女性(もたいまさこ)が海を見つめながら携帯電話していた。
電話の相手は旅行会社か航空会社のようだ。バッグが紛失したらしい。経由地での飛行機の乗り換えのときに紛れてしまうことがたまにあるという。
その女性は、着替えなどをバッグに入れておいたので、困っているようだ。それで、ヘルシンキに着いたものの、もう2日も足止めを食っているのだ。
さて、かもめ食堂では、サチエとミドリが、またもやあの悲しげに茫然自失した中年女性が窓の外から見つめているのに気がついた。
2人が気味悪がったり訝しがったりしていると、もうひとり憮然として店を覗いている女性が現れた。日本人のあの中年女性だ。
だが、彼女は店が食堂(兼カフェ)だと知ると、意を決してなかに入ってきた。そして、カフェを注文した。
カフェを飲みながら、その女性はサチエに話しかけてきた。日本人女性どうしで話しかけやすかったのか。
「私の荷物がなくなったんです……」と事情を説明した。
「乗り換えのときに荷物が紛れてしまうことがときどきあるようですね。でも大丈夫ですよ。2、3日すると見つかりますよ」とサチエ。
「でも、航空会社に問い合わせて探してもらっているんですけれど、もう3日目なんです。まだ見つからないんです」
「それは困りましたね。大事なものが入っていたんでしょう」
「え、入っていたかしら?」
というわけで、着替えがないのには困っているのだが、そのほかに困ることはないらしい。何を入れておいたかも、はっきり覚えていないようだ。腹が据わっているのか、途方に暮れているのか。
その女性は翌日もやって来た。そして2日目にして、すっかりサチエとミドリの顔なじみになった。彼女はマサコと名乗った。
彼女は金は十分に持っているらしく、やがて店を出ると、着替えなどの身の回りの物を買いに出かけた。
翌日、買ったばかりの服を着てまたまた来店した。柄の大きなデザインで、なかなか似合っている。そんなふうにして、マサコはかもめ食堂の常連になった。
ある日、ヘルシンキに来ることになった経緯をサチエたちに聞かれて、マサコは身の上話をした。
この20年間、病身の両親の世話(介護)をしてきて、一昨年には父親を、昨年には母親を見取った。ひとりになってみたら、どこか遠くに旅行しようと思い立った。以前、テレヴィで「エアギター」とか「サウナ風呂我慢大会」などの滑稽なことを大まじめに取り組む国民性を報道していたのを想い出して、フィンランドに来た、というのだ。
そういう大らかでのんびりした人びとが暮らすところに行ってみたい、と思ったのだという。
サチエやミドリ、マサコが、フィンランド人はそういう気質なのはなぜだろうという疑問を出し合った。
すると、またもや来店していたトンミ――日本語をある程度理解できる――が、3人の会話を聞いて「フィンランドには森があります(から)」と答えた。
フィンランドの人びとは身近にある森に出かけて楽しみ、大らかな気分を回復するらしい。森林浴の効果とうことか。
それを聞いて、マサコは「では、私も森に行ってみます」と言い置いて店を出ていった。
マサコは大きな森のなかを歩き回ったのでリラックスし、さらにキノコ狩りを楽しんだ。
翌日、マサコは食堂を訪れて、森を散策して楽しんだことを告げた。だが、集めたキノコのことを聞かれると、「それが、どこかで落としてみんななくしてしまったんです」と不思議そうに答えた。
彼女にとってキノコは何かの寓意なのかもしれない。