今回は、2004年公開の『ターミナル』というコメディ映画作品を取り上げて、現代世界で最も面倒な法律問題の1つをあつかいます。それはまた、最も複雑怪奇な政治学上の問題でもあります。
すなわち「国家とは何か」「いったい国民国家とはどのような法的状態か」、そして「国民国家とはいかなる政治的存在なのか」という問題です。それはまた、個人(人びと)にとって国家はどういう存在なのかという問いでもあります。
現代世界に暮らす私たちは、政治的・法的な文脈では、日本やアメリカ合衆国やフランス共和国という特定の国民国家の市民として生活しています。国民国家という社会的な構造物によって保護され、権利と義務を与えられ、そして束縛され、拘束されています。
それは、ある意味では「大変ありがたい存在」でもありますが、場合によっては「とてつもなく恐ろしい存在」でもあります。私たちは、国家によって保護され権利を与えられながら、義務を課され、ときには兵員として戦場に赴くことを強制されたりします。
今回の映画作品は、国境というものを越えて旅行する場合、「法的空間としての国家」とか「国家の機能」「国家の主権」というものが人びとの生存にどのように影響をおよぼしてくるのか……という問題をいわば視覚的に描いたものです。
なお、かつて私は学術的な視座から、ヨーロッパの中世晩期から近代初期にかけて「主権国家」「国民国家」という観念と制度がどのように生成してきたのかを研究していましたので、そういう専門的な「国家史的」「国家論的」研究について関心のある人は、関連サイトにアクセスしてみてください。
原題は The Terminal だが、このあとに Airport が省略されています。意味は「エアターミナル」すなわち「国際航空便の終着空港」。英語の「ターミナル」とは、本来「末端の」「終末の」「最終の」「端緒の」「初発の」という形容詞ですが、定冠詞 the をつけて「〜であるもの」という集合名詞・類型名詞となります。
それが英語圏でも日本語圏でも、「バス・ターミナル」とか「ターミナル・ステイション」という具合に慣用化されて、別の系統の経路への連絡トラック(乗降場)を備えた主要な停留所や駅、施設を意味するようになりました。つまりはシステムのなかで「拠点となる地点・施設」「基軸点」をターミナルと呼ぶようになったのです。
いまではコンピュータ通信回線ネットワークの端末または端末機という使われ方が一番多いようです。
現在の「先進諸国」の人権感覚や国際関係のイメイジからすると、個人の権利や生存が国家の外交関係や政府の権力によって厳しく制限され、移動の自由すら保証されないという事態は、一見ありそうもないように見える。
市民権や人権は普遍的なものだから「国家よりも個人の権利が優先されるべき」という発想が、まかり通っているかに見える。
ことに「平和ボケ」し、「内向き志向」が強いと酷評される、私たち日本人にとっては。
だが、意図するとしないとにかかわらず、望むと望まざるとにかかわらず、およそ市民権を保有する(市民権を保障された)個人というものは、「国家」として組織された法的空間に属すことで、自らが帰属する特定の国家の公民権としてさまざまな権利や自由を保有することを国家権力によって承認されているにすぎない。
つまり、市民権は、ほかならぬ個別の国民国家という枠組みの内部――あるいはEUのような国家連合の内部――でしか保障されえない独特の制度あるいは擬制(フィクション)なのである。
自分が帰属すべき国家=法的団体(擬制)としての国民の枠組みが揺らいだり、解体してしまえば、個人の自由やら市民権とやらの一切が雲霧消散してしまうことになる。とりわけ外交関係がモノを言う空間では。
「愛国心」という嘘っぽいイデオロギーや国家や国民への帰属意識とやらと密接に絡みついた国家制度に、私たちは執拗に囚われているのである。だが、囚われていること自体が、皮肉なことに安全や秩序、生存の機会を保証しているのだ。
「国家という状態 the state 」は、良くも悪くも秩序の枠組みを構築して、血みどろの暴力の横行する状態を禁圧し「平和状態」ないし「市民社会」を形成しているのだ。
「国家という状態」が崩壊しているシリアやイラク、ソマリア、アフガニスタンなどからヨーロッパなど国外に脱出しようとする多数の人びとが、死と隣り合わせの幾多の危険や苦難を経ながら、暴力や死の恐怖から逃れ「通常の平和な生活」を求めて彷徨う姿。それこそ、国家というものの「ありがたみ」と「脅威」を如実に想起させる事象ではないか。
国民国家の「ありがたみ」と「恐ろしさ」。
『ターミナル』(2004年)は、このことが切実に体感できる作品である。
そして、この「ありがたみ」が失われても、生き抜こうとする人びとの知恵や行動力、そして連帯感があれば……という理想に思いを馳せる作品でもある。
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