ガイ・フォークス・デイの前日、V追捕の失敗を理由にサトラーはクリ―ディを罷免しようとした。だが、クリ―ディは反撃し、秘密情報部の精鋭を動員してサトラーを拘束した。深夜のことだった。そこにVが現れた。
命乞いをするサトラーをクリ―ディは容赦なく射殺した。
政権を掌握しようというクリ―ディにとっては、クリ―ディを始末した以上、権力掌握の前に立ちはだかる障害はVだけとなった。Vは約束を守ってクリ―ディの前に身をさらした。だが、Vとしても、むざむざ無抵抗で殺されるつもりはなかった。
10人ほどの秘密情報部の精鋭を前にしても、Vはふてぶてしい態度でクリ―ディに挑発的な態度で臨んだ。
クリ―ディ一味もVの抹殺のためにアソールト・マシンガンで武装していた。対するVは、マントの下に仕込んだ何十本もの短剣を振りかざした。
情報部の精鋭たちはマシンガンを撃ちまくり始めた。ところが、Vの動きは常人のものではなかった。短剣を投げてまたたくまにエイジェントたちを倒していった。クリ―ディも倒れた。
死闘を制したVはマントを翻して立ち去っていった。だが、身体には多くの銃弾を浴びていた。
それでもVは、イーヴィとの再会の約束を果たすために、地下鉄の駅に向かった。
駅で待っていたイーヴィは、Vがよろめきながら近づいてくるのに気がついた。彼女が駆け寄ると、Vはついに倒れ込んでしまった。苦しい息を吐きながら、Vはイーヴィに告げた。
「地下鉄駅のトラックに停車している車両には、爆薬が積まれていて、運行が可能な状態になっている。私は間もなく死ぬ。計画どおり、列車をウェストミンスター議事堂まで走らせて爆破するかしないか、その選択は君に委ねることにする」
そう言い残して、Vはこと切れた。
そこにフィンチ警視が現れた。Vの死に愕然とした。
イーヴィはどうするか迷った。が、結局、ウェストミンスター議事堂の地下で爆薬を炸裂させることにした。
彼女は車両に乗り込んで、列車の運転を始めた。唖然としたのか、政権の醜さに愛想が尽きたのか、フィンチは止めようと乗せずにイーヴィと電車を見送った。
Vが仕かけておいた爆薬は、運転速度に見合った起爆時限設定――ウェストミンスター議事堂の地下で爆発するように――がしてあったのだろう。イーヴィは自動=無人運転に切り替えて、列車を飛び降りた。大量の爆薬を乗せた列車は、地下鉄の線路を走り、闇の向こうに消えていった。
その頃、ウェストミンスター議事堂の周辺一帯には、民衆の抵抗を弾圧するために、軍と武装警察が配置されていた。彼らは前もって、ヴィクトリア・ロードやウェストミンスター・ブリッジを歩いて議事堂に近づく者を射殺してでも阻止せよ、と厳命されていた。サトラーからの命令だった。そのときには、すでにサトラーは殺されていたわけだが。
だが、現場に配備された末端の兵士や警察官たちは、当然のことながらエリート階級ではなく、中下層の一般民衆出身だった。つまり、議事堂に近づく民衆を射殺するということは、日常、自分が親近感を感じている人びとだった。しかも、さほどの報酬や特権も与えられずに、厳しい現場の最前線で民衆から嫌悪される仕事を割り当てられていた。だから、むしろ当惑し怯えていた。
すると、ロンドン中心街の街頭に多数の群衆の足音が響いてきた。
ガイ・フォークスの仮面と黒いマント・黒装束をまとった人びとが、ロンドンのあちこちの路地から現れ大きな通りに集結していく。Vの姿をした無数の人びとの群は、やがてヴィクトリア大通りやウェストミンスター・ブリッジに集結し、巨大な隊列を組んだ。群衆は戒厳体制の兵士や警察隊に近づいてくる。
軍や警察の小隊長たちは、無線で指導部の指示を仰いだが、首脳部が殺し合いでいなくなったノースファイアーの本部からは何の返答もなかった。マシンガンの引き金に指をかけていた兵士や警官たちは、近づく民衆の圧倒的な隊列、その意思の力強さに恐れをなしたのか、それとももともと良心の咎めに苛まれていたせいか、次々に隊列を離脱して逃げ去った。あるいは、近づく民衆の前に凍りついたように佇み続けた。
ウェストミンスター地区は、もとより、政治権力の中枢の所在地としての意味(象徴)を与えられている。そこに、Vの姿の夥しい数の民衆が結集するということは、それまではノースファイアーの暴力的抑圧、権力に委縮してきた民衆が、政権の威信に屈する態度を投げ捨て、結集して異議申し立ての意思表示に立ち上がったことを意味する。
これがギリシア語本来の意味での「デモス・クラティア」(多数派民衆の力:デモクラシー)だ。物理的にして心理的な脅威・威圧感をともなう権力の組織形態、存在形態としての「民主主義」というものだ。
つまりは、民衆の恐怖と委縮、従順さというノースファイアー政権の存立基盤が崩壊したということを意味する。
そのとき、ウェストミンスター議事堂が轟音とともに揺れ動き、窓や壁が吹き飛び、火柱や炎を噴き出し始めた。ビッグベン(時計塔)や尖塔が吹き飛び崩れ落ちていく。議事堂は火炎のなかに崩壊していった。
このとき崩壊していった議事堂は、権威主義的独裁を飾り立てる欺瞞の象徴としての政治装置だったようだ。700年以上の長期間にわたって王政や身分秩序をともなう――民衆の影響力から遠く隔てられてきた――議会制度を経験してきたイングランドならではの劇的なエンディングではないか。
こうして、ブリテンの全体主義的レジームは、音を立てて崩壊した。
だが、新たなレジームの構築はこれからようやく始まるのだ。