というわけで、危ういところで偶然踏みとどまったロベルタ。だが、学校では多くの一般教員の支持や好意を受けているわけではなかった。むしろ孤立しているという方が正しいか。
ある日の昼休み、構内の広場のベンチでロベルタはランチを取ろうとした。そこに2人の女性教員が歩いてきた。ロベルタは2人に、このベンチでいっしょに食べるのはいかがと誘ったが、無視された。しかも、彼女たちは聞えよがしにロベルタの噂話をしながら通り過ぎた。
軽いため息。
そこに別の女性教員(ヒスパニック系)が近づき、ロベルタに話しかけながらベンチに腰かけた。彼女はイザベル・ヴァスケス――エスパーニャ風の名前。彼女は、ほとんどの教員たちがロベルタに対してよそよそしい理由を説明した。
「課外授業の臨時教員に対してよそよそしいのは、別に嫌っているからじゃないのよ。臨時教員はすぐに辞めていなくなるから、親しくなっても無意味と思っているからなの。
でも、さっきの教師、クーパーは嫌なやつだから態度が悪いのよ。音楽なんて無駄だと思ってる」
「でも、あなたはなぜ、私にそんなに親切にしてくれるの?」とロベルタは聞いた。
「来年、私の娘をヴァイオリン教室に入れて指導してほしいからよ。どうかよろしくね」
「ありがとう。でも、私は来年もいるかどうか…」
「あなたはいるわ」( You will be ! :この場合の will は意思の結果としての未来を表す助動詞。くどく訳すと「あなたは自分の意志の力でここにとどまるわ!」)
たゆまぬ努力は、必ずどこかで誰かが見ているものだ。
だが、ヴァイオリン教室の生徒たちの進歩ははかばかしくなかった。本人たちの努力がまだまだ足りないし、いや独習努力を育む環境がないのだ。
「やる気がない」のではない。彼らは必ず教室にはやって来る。努力の意味とか自分に目標を提起する意味(生きがい)をまだ経験したことがないからだ。
だから、ロベルタの叱咤激励の言葉は、しばしば辛辣になる。
練習の最中、ロベルタは生徒たちにボウイングを止めさせた。
「ストップ、ストップ、まあ、なんてひどい音なのかしら。あなた方の親が聞いたら、きっとゲロを吐くわ!」
「あなたたちはやる気がるの?
家で独習してこないのなら、もうここに顔を出さなくてもいいわ!」
一瞬、子どもたちの表情は引き締まる。青ざめて下を向く子もいる。
この辛辣な言葉が保護者からのクレイムを呼んだ。
ある日、生徒の母親が校長室にクレイムを持ち込んだ。で、ジャネットを仲裁者にして、母親とロベルタが話し合うことになった。
「うちの娘に『ゲロを吐く』なんてひどい言葉づかいをするなんて!
もっとやさしい言葉づかいで教えてもらいたいわ」
「ときに子どもには厳しい姿勢が必要です。とくに努力不足のときは」 と水掛け論になった。
ジャネットが仲裁に入って、
「要するに、ロベルタが言葉づかいを改めれば、問題は解決するのよ」と言い切った。
その日から、ロベルタは教室で丁寧な言葉づかいになった。
子どもたちが、練習でひどい音を出しても、
「どうもありがとう。…とてもよく弾けたわ。でも、もう少し努力すれば、ずっと良くなるわ…」と多少のためらい(言いにくさ)と婉曲をともなった言い方になる。
ところが、子どもたちは、急に言葉づかいが丁寧に改まったロベルタを疑い深そうに、いや居心地悪そうに眺めている。「どうしたんだ、先生は、いったい?」という顔。
子どもたちの態度が「退いている」ので、ロベルタは不安になって、子どもたちに尋ねた。
「どうしたの、何を戸惑っているの?」
すると、「先生の言葉づかい、いつもと違って変だよ。やりにくいったらないよ」という返答。
「変?、じゃあ、いつもの調子の方がいいの?」
「当り前だよ、いつものようにガツンとやってよ」
「じゃあ、正直に言わせてもらうわ。みんな、なによ今の音は。聞いた人はゲロを吐くわ!」
「そうだよ、そう来なくっちゃ。調子が出ないよ!」
子どもたちは声を揃えてそう言って、みんな目を輝かせて弾き始めた。その音色はさっきまでとは全然違うものになった。一気に上達したみたいだ。
ロベルタの言葉づかいを母親に告げた女の子もうれしそうだった。ロベルタはその子に言った。
「あなたも、この方がいいのね。じゃあ、私のこの言葉づかいは、お母さんに内緒よ」