私たちはいま、フォーサイスの原作『戦争の犬たち』が著されてから、すでに40年近くの歳月を経て、アフリカ諸地域にはいまだ悲惨な現実が厳然と横たわっている事実を見ている。
1950〜60年代には、明るい未来への希望をもって「植民地的従属」からの独立運動が活発だった。多くの「独立国家」が誕生した。
もちろん、「ビアフラの悲劇」「ナイジェリア紛争」「アパルトヘイト」などの悲惨な現実も存在していたのだが。
植民地から抜け出し独立国家となれば、少なくとも60年代までのような民衆の過酷な抑圧や貧困は解消されていくだろうと、その当時は楽観的に考えられていた。
たしかに南アフリカ共和国では今、アパルトヘイトは廃止され、有色人種に市民的権利が付与され、黒人の大統領が国政を指導・運営している。
だが、アフリカの悲劇の大半はいまだに続いている。いや、ダルフール問題やソマリア、スーダンの分裂抗争を見よ。「豊かな産油国」ナイジェリアでは地域間、部族間、階級間の紛争は悲惨を極めている。サハラ地域では過激派イスラム武装集団が既存の脆い国家制度を破壊している。
その背景にあるのは、いくつもの要因が累積してきた歴史の重苦しさだ。
アフリカの近代史を見てみよう。
16〜17世紀のヨーロッパ世界経済の生成とともに、アフリカはしだいに資本主義的世界システムの従属的底辺(周縁・縁辺・外縁)として組み込まれ、従属的地位を強制されてきた。19世紀から20世紀にかけて、完全に世界経済に統合された。
16〜17世紀16〜17世紀当時は、アフリカ大西洋岸の諸地方とインド洋沿岸のわずかな地方だけが、世界経済に引き入れられただけだった。
だが、17世紀が進むと、ヨーロッパの軍事力をともなう膨張とともにヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカをめぐる大西洋貿易が本格化する。さらにはインド洋貿易も。最も有名な(悪名高い)のは、「三角貿易(the
triagular trade)」だ。
その典型的なパターンの1つは、
ヨーロッパから貴金属やマニュファクチャー製品、珍奇な商品を積載した船舶がアフリカ大陸大西洋岸に向けて出航する。
そこでヨーロッパ人商人が、その地域の原住民の部族長=王族にこれらの商品を渡して、引き換えにアフリカ人奴隷を買い付ける。
そのあと船舶は多数の奴隷を載せて大西洋を横断して、南北アメリカないし西インド諸島に向かう。
そこで、今度は奴隷を高く売りつけて、引き換えにタバコや砂糖、ラム酒や貴金属などの特産物を買い付けてヨーロッパに戻り、高額で販売して、したたかに利益を得る。
というものだった。
アフリカ沿岸部の好戦的な部族は、ヨーロッパ人から貴金属や珍奇な商品を買うために、近隣部族に戦争を仕かけて、破壊と殺戮を繰り広げ、多数の捕虜=奴隷と略奪品を獲得したという。
もともと、ときおり略奪や戦争を仕かける風習があった部族が、今度は系統的に奴隷狩りのための戦争を営むことになったようだ。
膨大な距離の大西洋を、奴隷として売り渡され、息詰まるような監獄同然の船倉に詰め込まれて渡航させられたアフリカ人たちの多くは、途中で死んでいった。
栄養も衛生環境も劣悪で、病死(ヴィタミン欠乏による壊血病、感染症など)、衰弱死が続出した。アメリカまで生き残った人びとは、奴隷として高額で売り払われ、過酷な労働環境で酷使・搾取された。
やがて、18世紀末から19世紀末、さらに20世紀にかけて、アフリカ全体が世界経済に本格的・全面的に統合されていく。きっかけは諸国家の軍事的敵対や競争だった。
こんどは、海外に軍事拠点の獲得をめざすヨーロッパ諸国家の勢力争いに巻き込まれたのだ。
やがて経済的文脈では、急速に工業化しつつあるヨーロッパおよび北アメリカ列強諸国の原料・特産物・食糧(金や貴金属、希少金属の採掘、熱帯産植物)の調達市場として、そしてまた工業製品の販売市場として、暴力的に囲い込まれ分割されていく。
そして、それらの植民地や属領になっていく。