この裁判は、奴隷制の認否(存廃)をめぐる政治的論争と直結していた。だから、奴隷制の非道徳性を前提としそしてセンベたちの解放を認めた判決は、奴隷労働を不可欠の条件とする――綿花栽培を主とする――南部の地主的農業経営にとっては、致命的な意味合いを持っていた。
それゆえにこそ、南部諸州選出の元老院ならびに代表院の議員たちは強く結束して、ヴァン・ビューレン大統領に、「アフリカ人敗訴」の判決を誘導するように圧力をかけていたのだ。ところが、奴隷制廃絶論者が支援する側が勝訴した。
もちろん、再選を必死に狙うヴァン・ビューレンは、この判決を苦々しい思いで見てはいた。だが、自分の選挙運動にさほどの悪影響を与えるものではない、と高をくくっていた。ところが、南部特権階級の憤懣は、大統領主催の晩餐会で爆発した。
当初欠席の返事を寄せていたジョン・カルフーン元老院議員(かつて、クインシー・アダムズ大統領の政権で副大統領を務めていた)が、パーティーに現れて、ヴァン・ビューレンに「最後通牒」を突き付けた。
こんな、南部を侮辱しその息の根を止めるような、不条理な判決がまかり通るのなら、南部諸州は合衆国から離脱して、奴隷制堅持のために独立した政治同盟を樹立する。すなわち、北部が主導する合衆国に宣戦布告する、ということだ。そうなれば、ヴァン・ビューレンの再選どころではない。彼は南部諸州全体の支持を失うばかりか、連邦国家を分裂させた大統領という「汚名」をかぶせられることになる。
年老いて元首の座にひたすらしがみつこうとしている大統領は、南部の脅しに屈してしまった。大統領府は、州裁判所の判決を不当として、連邦最高裁判所に上訴した。
一方、判決の評価については、奴隷解放論者のあいだでも意見が分かれていた。
ジョウドスンは、馬車のなかで同志ルイス・タッパンの思いがけない言葉を耳にした。
「勝訴はあまり歓迎できないね。なぜなら、奴隷解放論の火を燃え上がらせるためには、センベたちは「殉教者」になるべきだったんだ」
ルイスは、戦術的には敗訴の方が都合がよかったと言っているのだ。その方が、奴隷制の不当性・不道徳性に対する非難や批判、反感が増幅されるだろう、というのだ。
ジョウドスンは、ルイスの立場を非難した。
「あなたは、制度としての奴隷制には反対し廃絶を主張するが、目の前の奴隷たちが(個人として)苛まれ殺されるのを見殺しにしようとしている」と。目の前で苦しむ個人たちを救済する意識が弱い、と。
論点の欠陥を突かれたタッパンは激昂した。
ジョウドスンは、馬車から降りて、エリート白人の奴隷廃止論者と袂を分かった。
勝訴の感激に浸っていたロジャー・ボールドウィンは、またもや崖の淵から突き落とされたような気分を味わった。だが、今度は冷静さを保ち、センベたちに合衆国のレジームのいい加減さを謝罪した。
部族のチーフが終世、そして死後も権威を保っているセンベの故郷の仕組みとかけ離れた、合衆国の司法制度(大統領制)について、センベは憤り、深い疑念・不信を表明した。彼は怒り狂った。
ロジャーは最高裁での勝訴がきわめて困難であることを知っていた。というのは、9人の最高裁判事のうち7人までが家内経営あるいは農場経営でアフリカ系奴隷を使用している企業家だからだ。自分の企業経営の土台を批判し、覆すような判決を下すはずがない、と。
危機感に押されたロジャーは、ボストンにクインシーを訪ねた。キケロがカエサルに送った言葉を引き合いに出して、この状況を切り抜けられるのはクインシーだけだと訴えた。
クインシーは、裁判の新聞報道を詳細に読んでいて、センベの勇気とロジャーの論陣の素晴らしさを、内心、高く評価していた。その本人から無礼なまでの檄を突きつけられて、クインシーは、チョッピリ自尊心を傷つけられた。
だから、その日はロジャーの僭越をたしなめ、追い返した。だが、解決困難な問題に直面=挑戦するのが大好きなクインシーは、闘争心が湧き上がるのを感じていた。