アミスタッド 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
洋上の反乱
大西洋にまたがる利害紛争
大統領と奴隷制廃止論者
・・・欲の突っ張り合い
ジョン・アダムズ
法廷闘争の開始
アフリカ人の「物語」
言葉・・・
通訳係の獲得
奴隷貿易の歴史
密貿易
暴かれた奴隷貿易
合衆国内の権力闘争
ロジャーとクインシー
クインシーとセンベ
クインシーのチャレンジ
重い結末
映画が問いかけるもの
アメリカ独立革命と南北戦争

アメリカ独立革命と南北戦争

  ところで、この映画作品で、はじめにジョウドスンが提示し、連邦最高裁でクインシーが明示した歴史観がある。すなわち、独立戦争の18世紀後半から始まった革命の最終局面が「奴隷制廃止」をめぐる内戦――南北戦争――であろう、という視点だ。
  これはきわめて洞察力に満ちた卓見だ。

  アメリカ合衆国が国民国家として統合されたのは、南北戦争から1930年代までの期間においてなのだ。
  ところが、日本の公教育の歴史では、1770年代の独立革命をもってアメリカ合衆国が独立の国家として成立したかのように記述し、教えている。浅はかな歴史観だ。もっとも、日本の公教育での歴史教育はだいたいがこんなものである。
  歴史を累積的な過程( cumulative process )として構想しない、単なる事件の羅列、時系的進行としか発想できない見方だ。
  とりわけ、近代における「国家形成」とか「国民形成」に関して、日本人は(学者も含めて)無関心、いやそもそもそういう概念・認識方法を持ち合わせていない。
  まあ、これはどの「近代国家」にも共通のことなのだが。

  そもそも、江戸時代よりも前には「日本史」は存在しない。日本という国民が形成され始めたのは、戦国末期あたりからだ。地理的空間としての日本列島はあったが、多少とも緩やかな統合枠組みや紐帯、とりわけ経済的・政治的・軍事的にまとまったレジームをなすのは、せいぜい江戸時代からだ。
  大和王権時代には、日本にはいくつもの侯国というか部族政体や氏族政体があった。その個々の侯国ですら豪族や有力者の連合レジームであって、統一的な政治体にはなっていなかった。
  江戸期においてすら、各藩は軍事的に半ば独立した政治単位だった。財政や刑法はそれぞれ藩ごとに別個の体系をなしていた。だが、幕藩レジームが各領主に臣従を強制し、参勤交代や大規模工事の分担、輸送網の整備などによって、国民国家の萌芽的枠組みを組織化しつつあった。
  とりわけ、列島規模での海運や街道交通、内陸河川の舟運、幕府から特権を付与された商人団体が組織化した(業種別の)貿易網によって、経済的な物質代謝のまとまりが構造化されつつあった。
  西ヨーロッパときわめてよく似た歴史経過だというべきだろうが、ただし――フランスやブリテン、ドイツ、イタリアのように隣接する諸王権と国家形成競争をしたという経験はない。むしろ、近隣の中国などが西欧列強による植民地化・属領化されようとする動きを知って危機感を抱きながら、国家形成・富国強兵を進めたのだが。

  では、北アメリカはどうか。
  独立闘争のとき、東部植民地諸州はそれぞれ独自の背景・生成の歴史をもつ、別個の政治体=軍事単位だった。とはいえ、北米諸州を植民地として支配するブリテン本国と、諸州はとりわけ財政・課税制度をめぐって敵対を深めていって、ある時点で、北アメリカ大陸規模で諸州はブリテンに抵抗する政治的・軍事的同盟を取り結んだ。
  ただし、対ブリテンの政治的・軍事的同盟であるから、単一の国家レジームをなしていたわけではない。同盟の中央政権(というよりも調整組織)は――やがて連邦政府となるが――個別の州内部の統治には基本的に介入できなかった。同盟のための憲章条約への加盟をつうじて、きわめてゆるやかな連合体を形成したにすぎない。合衆国憲法は、単一の国家の憲法というよりも軍事的・政治的同盟のための州際条約というべき法制度だった。
  まさに「ユナイティド・ステイツ(連合した諸国家)」だった。諸国家の集合=同盟であって、《単一の国家》ではなかった。だが、言語(英語)文化の壁や経験の違いの壁があって、「島国」意識を持つ日本人には、このあたりの文脈が読み取れない。それを文部科学省の学習要領がさらに浅薄化している。その方が、支配者には都合がよいからか。

  さて、19世紀になってから、独立闘争で同盟していた北アメリカ諸州連合のあいだに利害の分裂や対立が明白化する。その対抗軸は、1つは、北アメリカ全域での経済的・政治的統合をめぐるもの。もう1つは、この地域全体としてヨーロッパへの貿易的=経済的従属をどうやって克服するか(あるいはしないか)だった。
  最初の軸としては、西部開拓と領土拡張、とりわけ太平洋岸へのアクセス、さらに太平洋航路への商業的・軍事的進出において、北部の商業=工業資本と南部の農業資本とは対立した。というよりも、南部はより大きな国家領土への統合を望まなかった。
  もう1つの軸としては、綿花栽培・輸出は、ヨーロッパへのアメリカの経済的従属を固定化する枷となっていた。この領主的農業経営と原料輸出の経済構造は、もっぱらヨーロッパ商業資本の支配のもとで組織化されていた。南部の地主所領は、ヨーロッパの綿工業に低廉な原料素材を提供する従属部門で、付加価値生産性はきわめて低かった。


  それゆえにこそ、超低廉な「奴隷労働」でなければ、採算が取れなかったのだ。
  だが、合衆国全体として見れば、それは経済的資源が西ヨーロッパによって収奪され続ける構造を意味した。

  北部の貿易業資本や工業資本、銀行業は、南部の従属を断ち切って北部の支配のもとに統合=包摂したかった。そのためには、「奴隷労働」を禁圧すれば、南部の領主経営は土地経営を全面的に変革しなければならない。そのための金融資金や技術を北部資本が提供し、これによって財政的・技術的に南部を支配することができる。
  もちろん、人道的・民主主義的観点からも、奴隷制の廃止は課題となっていた。政治過程としての戦争には「大義名分」が必要だったから。だが、北部諸資本とエリートが流血の代償を払っても、南部を屈服させようとしたのは、人道的理由よりもむしろ、まさにヨーロッパから完全に独立した連邦国家を構築するためだった。

  とはいえ、この戦争の勝利によって統合が深化するのは、アパラチア以東の地域にすぎなかった。中西部や西部、太平洋岸の開発と統合はまだまだ将来のことだった。そして、合衆国は憲法条約を批准した自立的な諸州からなる同盟でしかない状態は続いた。
  それでも、鉄道網の敷設、沿岸航路網の整備、運河建設によって、諸州(ことに内陸部と太平洋岸)の経済的・物質的統合は進展した。
  20世紀には、新たに出現した自動車交通組織が連邦の国民国家的統合を促進した。
  だが、各州はそれぞれ別個の税法、商法、刑法などを備えた自立的な地方政府だった。
  ところが、フォードやデュポン、スタンダードオイルなどの巨大企業は、このような州ごとの法的・行政的な障壁を超越して経営組織や工場群を組織化していった。アメリカの多国籍企業は、じつは、このときにすでに誕生していた。独立した諸州は、大統領府によって軍事的に統合されながら、経済的には大企業の権力によって統合化されていった。
  その最後の仕上げが、1929年からの大不況への連邦政府の経済・財政政策だった。そして、排他的な関税ブロック経済を組織化し始めたヨーロッパ諸国家や軍備拡張を進める日本との対抗を意識した、政治的・経済的・行政的=軍事的統合政策(ニュウディール)だった。それは結局のところ、軍産複合体を生み出していくことになった。
  という意味では、アメリカ合衆国の大陸的規模での国民国家の成立の時期は、1933年から36年頃ということになる。

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