ところで、アンナ・ホルツはベートーヴェンの写譜師に応募するときに、自分で作曲した楽曲手稿を携えていた。ベートーヴェンからの強い影響力のもとに独自の楽想でつくり上げたものだった。そして、いつか完成したら、マエストロに見せようと思っていた。
ところで、交響曲第9番の演奏の成功ののち、ベートーヴェンは音楽界にさらなる決定的な変革をもたらそうとして弦楽四重奏曲(第13番に当たる楽曲)を構想していた。それは、あの《大フーガ》を終結部分とする複雑で難解な曲である。
ベートーヴェン自身、作曲構想にさいしては、幾度も壁にぶち当たり、新たな構想を試み、さらに練り直しを続けていた。つまり、最後まで試行錯誤を繰り返し、悩み続けた楽曲だった。
すでに作曲したいくつもの交響曲によって、後世「ヴィーン古典派の次元を突破し、音楽史の画期を築いた」と評価されるベートーヴェンにして、楽曲の構成や書法について悩み抜いた難曲だ。つまり時代の最先端を走る大作曲家が試行錯誤の末にようやくたどり着いた境地だから、一般聴衆には理解できるか不明だったということだ。
その弦楽四重奏曲第13番の終楽章(第6楽章のフーガ)は、それまでアンナが抱いていたマエストロの作曲手法や音楽感性とは相当に趣を異にするものだった。つまりは、ベートーヴェン自身が音楽革命のために、自分が積み上げてきた方法論や曲想をある意味で破壊し再構築するという目論見をはらんでいたのだ。
アンナにとっては、敬愛してきたマエストロが、彼女には理解できない方向――新たな軌道――に向かって走り出そうとしているように見えたのだ。
そんなある日、アンナは自作の曲の楽譜をベートーヴェンに見せた。
それまでの自分の方法論の集大成を見るような思いで、ベートーヴェンは楽譜を眺めた。それは、今自分が決別しようとしている方法論(音楽観)だった。
楽曲としてはよくできていたが、ベートーヴェンはそのとき自分が到達していた見地・発想にしたがって、辛辣な評価を口にした。そして、こう直した方がいいとピアノで弾いて見せながら、楽譜の書き換えを慫慂した。
だが、当惑気味に憮然としたアンナの顔色を読んで、彼女の方法論を尊重して、「では、いっしょに仕上げにかかろうか」と提案した。
■巨匠の横暴■
そんなわけでベートーヴェンとアンナとの関係がギクシャクしていたときのこと。
アンナの恋人の設計士は、ヴィーンの王室が主催する「橋の設計コンペ」に自作を出展しようとしていた。彼は工科大学出のエリートだった。そして、いよいよコンペが始まり、設計士たちは自作の模型を品評会場に出展した。
アンナは設計士に連れられて会場を訪れ、彼から自作模型を見せてもらい設計仕様の説明を受けていた。その足の模型は、新たな設計思想にもとづいていて、やたらに鉄骨による装飾が多い仕様だった。
おりしも、そこにベートーヴェンが現れた。
ベートーヴェンは、鉄骨だらけの橋の模型を「神への冒涜だ」とけなして杖で叩き壊してしまった。せっかくの出展作品が失われてしまった。ベートーヴェンは自ら作曲の世界では既存の方法論を転換して革命を起こしたくせに、他人が新たな試みに挑戦することに対してはきわめて保守的に振る舞う。
設計士はマエストロの横暴を責め、嘆き怒りまくった。そして、アンナにベートーヴェンの仕事はしないように要求した。
「彼の写譜師を続けるなら、私は君と別れる!」と。
そのときは、アンナもベートーヴェンの横暴に憤り、作曲家とは縁を切るつもりだった。