たぶんこれは、歴史的事実にはもとづかない、何らかの寓意を込めた映像物語なのだろう。映画の制作陣がルートヴィヒ・ファン・ベートーフェンの生涯や作曲をめぐる事実関係を知らずに作品をつくったとは思えないから。
さて、この作品に描かれているのは、晩期近くのベートーヴェンと女性写譜師との奇妙な絆をめぐる物語である。
この映画作品を素材としベートーフェンがいた頃のヨーロッパの歴史的状況――とくにヴィーンを中心とする音楽史――を背景に置きながら、ベートーフェンについて、勝手気ままに考えてみようと思う。私は音楽については門外漢なので、あるいは好き勝手な空想や根拠なしの思い込みが混じっているだろうと思う。
この大作曲家の名前の本当の発音・読みは「ベートーフェン」だが、以下では英語風にベートーヴェンと表記する。その家門の名だが、彼の出身地ネーデルラント方面のドイツ語方言で Beet-Hoven とは「根菜畑」「大根畑」という意味になる――標準ドイツ語では Beet-Hofen 。
その名前からベートーヴェンの家門の由来を想像してみると、もとは下級貴族だということなので、有力領主貴族の所領を管理していた家士=騎士身分だったのではないだろうか。
『敬愛なるベートーヴェン』というのが邦題だが、英語版の原題は Copying Beethoven で、「ベートーヴェンを写すこと」つまり「ベートーヴェンの楽曲を写譜すること」という意味になる。これは文法上、コピイングを動名詞と見なす場合だ。
ところが、この題名には A Woman が略されていて、本来の題名が A Woman Copying Beethpven
だと考えるとすると、このコピイングは現在分詞形容詞で、題名の意味は「ベートーヴェンの女性写譜師」という意味になる。
さらにコピイングには「模倣する」という意味があるので、女性写譜師の音楽観(音楽の方法論)は、ベートーヴェンに魅了されているあまり、ベートーヴェンのエピゴーネンのようになっているというニュアンスを表しているのかもしれない。
いずれにせよ、ベートーヴェンがつくった楽曲を写譜する仕事を請け負うことになった女性写譜師の物語で、女性写譜師から見たベートーヴェンの姿が描かれている。
なおドイツ語版では題名は Klang der Stille で、「無音の響き」という意味――英語にすると Sound of Silence 。この題名は、「難聴が進んで耳では音が聞きとれなくなったベートーヴェンの頭のなかで鳴り響いている音楽」という文脈でつけれられた題名だと思う。
1824年の秋、「交響曲第9番」作曲完成まぎわのベートーヴェンのところにやってきた妙齢の美しい女性写譜師が、物語の主人公である。
彼女の目を通して、ベートーヴェンはかなり傲慢できわめて奇矯な男として描かれている。
その姿は、ベートーヴェンというパースナリティそのものというよりは、彼の作品――というよりも後世の彼の作品の評価――のある一面を誇張してカリカチュアライズしたものというべきかもしれない。
そして一方、女性写譜師は、ベートーヴェンの内面にあるある性格や感性、方法論を代表するその人格化なのかもしれない。つまり、ベートーヴェンが苦悩し葛藤するさいの、一方の立場を表現しているのではないだろうか。
してみれば、映像でのベートーヴェン自身は、彼のなかで対立し鬩ぎ合うもう一方の立場ということになるのだろうか。
ところで、原題の意味には「ベートーヴェンを模倣する」という意味がある。ベートーヴェンの方法論にしたがうということだ。その場合には、アンナ・ホルツの側から「尊敬するベートーヴェンの音楽はかくあるべし」という視点が含まれているということになる。
アンナ・ホルツはマエストロの音楽観の魅力に呪縛されているということにもなる。
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